作品のこと。《春の山》2020年と尾崎放哉の句

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今年の春頃、《春の山》という油絵作品を制作しました。この作品は、尾崎放哉のある有名な俳句をもとにして制作したものです。とはいえ、文学にはだいぶ疎いので、有名どころであっても分からない時がありますが…。

尾崎放哉の俳句を知るきっかけとなったのは、ヨルシカの『思想犯』という曲。最近の流行りにも疎い自分、YouTubeで最近の流行りの曲でも聴いてみようかと思いたち、なんとなく検索かけていたところ、たまたま発見しました。

この『思想犯』という曲の中には、意味深な歌詞がちょくちょく出てくるのですが、その中で耳にとまった歌詞がこちら。

“ 春の山のうしろからまた一つ煙が立つ ”

なんだか分からないけど、すごく心に残る言葉だなァと思い、調べたところ尾崎放哉のこちらの俳句が元になっているようでした。

春の山のうしろから烟がでだした

尾崎の俳句は「五七五」の音律から外れた「自由律俳句」と呼ばれています。

そして、彼の絶句(最後の句)と言われいているこの俳句。

海に憧れて各地を渡りあるいた彼が最後に想いを馳せたのは、故郷の山だった。
春を越せたことへの喜び。
山の後ろから出る煙=火葬場?→自分の死を悟っている。
などと解釈されています。

なんとなく、この俳句に惹かれたのには、去年の自分の状況や心境と重なる部分があるからかもしれません。

去年は(まだ今年もだけど)、世間もあの未知のウイルスに悩まされましたよね。個人間でも、大変な思いをした人がたくさん溢れかえった年だと思います。

去年の私も、色々あってストレスで体重・体力が激減したり、仕事が解雇になったり、なかなか大変な一年となりました。

ありがたいことに、心配してくれる人がいたのですが、私は心配されるのがもともと苦手で、自分の今置かれている状況を心配された時には、気丈に振る舞おうとしました。でも、実際に全然大丈夫じゃないので失敗して、結局心配されて、「私ってどうしようもない人間だ」と落ち込む。そんな悪循環でした。

生きる気力がない、とは言葉で言えば簡単ですが、体感的にはまさにそんな感じ。自分で掘った穴はなかなか深くて、這い上がるのには時間も体力も気力も必要でした。

最終的には人に助けてもらったり、喝を入れてもらったりして、ちょっと遅いスタートを切ることになります。そして年末には新しい仕事が見つかるのですが、それが奇跡的に自分にすごく合っているものでした。

年が明けてからは、とりあえずガムシャラに、振り落とされないように食らいついて。そんな日々を送っていたら、いつの間にか春になっていました。

都内に住んでいるので、春の山なんて見ていませんが、脳裏には故郷の優しくて穏やかな春の山が思い浮かびます。その時、暗いトンネルを抜けたような、一つ何か乗り越えたような、そんな気がしました。いや、やっとスタート地点に立ったのだと思います。

苦しい今の状況を、なんとか乗り越えた時に見る景色って、きっと特別なものですよね。これは忘れずに記録したいと思って絵に仕上げたしだいです。