芸術と日々の生活

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レオナール・フジタの言葉

友達と飲食店のおじいさん、そして私の好きな芸術家の一人であるレオナール・フジタの生き様に生かされた年になった2020年。

昨年は、秋に仕事を失い、そこからは日雇いの仕事で食いつないで、お金も精神も切り詰め切り詰めの生活でした。さらに、コ口ナ渦ということもあり、世間は引きこもることを推奨していました(今もですかね)。

気づけば、本当に引きこもりになっていました。自分でも気づかないうちに深く深く穴を掘ってしまい、さらに、自分で掘った穴から出てくることが億劫になると、いよいよ社会・世界と断絶してしまいます。今思えば、なんだかセルフネグレクト気味だったと思います。正直言って、去年のできごとの記憶があまりありません。

本当に、自分は一体、何をしていたんだろうという感じです。

抜け出したいのに抜け出せないというか。もがいているのに、全く前に進めない。そんな、もどかしい気持ちは逆によく覚えています。一年を棒に振った、何も成長していない…と言えばそうかもしれませんが、そんなこと考え出したらまた落ち込んじゃうので、やめときます(笑)

でもでも、このままの状態だと、もっともっと心が貧しくなって、人間以下、ミジンコ以下の単細胞になってしまう(?)。こんなに心が貧しい人間が、芸術作品を作ったり、芸術を語ったりしようとしているなんて、芸術をナメてるよ!と自分を叱咤しました。

そう気持ちが切り替わった時、レオナール・フジタのことを知るきっかけとなった、学生時代に読んだ本、それを今一度読み直そうと思いました。

「芸術家は宜しく芸術品を身に纏うべし」という言葉は、服装に関してのことですが、目が覚める勢いでした。

フジタは絵を描くアトリエで、日常生活で使うものづくりも、作品制作と同時に行っていたといいます。フジタにとって、芸術とは、衣食住とその生活の延長線上あって、またその逆もしかりで、芸術と日々の生活は陸続きだったのだ。

また、フジタの生き方に感銘を受けた若かりし学生時代に、こぎん模様を描いてリメイクさせたタンスの写真を、ひょんなことから発見しました(ちなみに、なぜこぎん刺しの模様だったのかというと、ちょうどこぎん刺しに関する本を読んで、こんな素敵な刺繍があるのかと、これまた感動したから)。

こぎん模様を描いたタンス(2016)

学生時代も色々と思い悩んだことはたくさんありましたが、「何かを作る」ことで、かろうじて人間らしくいられたように思います。

そして、この写真を見た時、「この頃の自分の方が金銭的にも環境的にも貧しいのに、芸術的に生きようと必死だ。今の自分の状況と比べると、よっぽど心が豊かだ」と思いました。

まったく、反省させられた1年になったものです。

今は、どんな状況でも芸術的に生きたいと頑張っていた過去の自分が、悲しむようなことはしないよう生きる、と思っています。


多少風変りな、自分だけの好みの、特殊の空気が欲しいのである。私は田舎風な、質朴な、頑丈な、散らかしてもいゝ、よごしても差支へのない、気の置けない、安心して居られる様な仕事場が好きである。

藤田嗣治『随筆集 地を泳ぐ』(2014)平凡社

で、今年の目標はアトリエを作ること!