「時間」に囚われたくない。
多分、みんな願っていることかもしれない。
例えば、バイトで単純作業をしていると、自分の貴重な時間を売っている感じがして、嫌になる。学生時代から何度も何度もぶち当たる壁だ。「自分の貴重な時間を売っている」と思ってしまい、バイトに行くのが億劫になる。なんのために、私は自分の貴重な時間を割いているのだろう。
仕事が単調・作業化、慣れてくると、頭を使って考えることをしなくなる。しかも、頭を使わないのに疲れる。自分の時間を売らないと生活できない水準なのに、贅沢なことを言っていると思う。こういう気持ちの時、頭を使ったり、考えたり、スキルが上がるような内容の仕事に憧れが芽生える。
今のバイトは、やることはたくさんあるし学ぶことも多い。だから現時点では、いい塩梅の線を行っていると思う。恵まれていると思う。贅沢は言わない。身の丈に合っていると思う。
それでも、「私は何をしているのだろう」「私は成長しているのだろうか」と思う時がある。
学生の時、掛け持ちしていたバイトの中にドラッグストアがあった。レジは自動レジだった。お金を機械に入れるだけだから、ポイントの付け方とか細かい部分を除けば、慣れるのは早いし、計算間違いは基本起こらない。しかし、これは本当に疲れる。いわゆる、頭を使わないのに疲れるヤツだ。こういう時、頭を少し使った方がスッキリする。
よくやっていたのは、お釣りのお金の数を当てるゲームだ(「お釣りゲーム」と呼んでいた。そのまま)。例えば、お釣りが¥1,513円なら「千円札1枚・五百円玉1枚・十円玉1枚・一円玉3枚」だから、「紙幣1枚と硬貨5枚だな」と、自動レジから出てくる前に考える。いわゆる脳トレだ。
「自由は不安の目眩」とニーチェが言ったように、ある程度の縛り・不自由があることで、何かが生まれたりする。何でもできる状況は、何でもできない状況でもあると思う。