仕事と趣味の境界線

画家になる方法は意外と簡単だ。

極端な話、国家資格なんてものは無いのだから「画家です」と口にすれば、どんな人でもその瞬間から画家になることができる。

ただ、画家だけで「生活」ができる人は限られてくる。多くの人は、他の仕事やアルバイトをかけもちすることで、生活のほとんどを支えている。今の私も、そのうちの一人だ。平日は仕事、休日や平日の隙間時間に絵を描いたりしている。

たまに、「絵を描くことを仕事にするために今頑張っている私」に対して「もう一人の私」がふとしたときに

「仕事にしたいて言っているけど、日曜画家は趣味にしか見えなくない?仕事と趣味の違いって何?」

と、イジワルな質問をしてくる。

仕事とは何か。
趣味とは何か。

それは何を基準にそうなっているのか。

「絵を描いて生きていく」という熱意が芽生え始めた大学2年生?ぐらいのころから、たまにふと、この基準について考え出す。

また最近、懲りずに考え出している。

考えているといっても、私は頭が切れるわけでもなく、むしろ鈍感な方なので、結局堂々巡りして毎回終わるのだけど。

でも、明確な判断材料は「活動時間」「生産量」「収入」だろうか。

・活動時間
1日の労働時間が決まっているように、絵を描く時間がある(たまに違う絵関係の仕事をしたりして)。

・生産量
変動することもあるけど、月平均すると、これくらいの作品数を作っている。数字がある。

・収入
こちらも時期によって変動するけど、月平均○○ぐらいで、年収にすると○○くらい。そしてそれが生活するのに事足りる金額である。

この3つが成り立っていると、「なるほど、この人は絵で生活しているんだな」と、私は思う。「仕事」に見られるためには、目に見える数字や結果が必要ということだ。

「自分は画家だ」と意識して生きている私は、周りから見ると、数字や結果がまだ無いから、画家ではない。ただ「思い込んでいる」だけだ。

でも数字に振り回されるのも、ちょっと何か違うように思ったりして。

分かってはいたが、「好き」を「(プロの)仕事」にしようとすると、楽しさを感じなくなっていく。「趣味」の世界では感じることがなかったであろう苦しさやツラさがあり、「好き」に殺されかけるのだ。

でも、それ支えるのは「好き」な気持ちとそれに対しての「情熱」だったりして、…なかなか折り合いをつけるのが難しいところである。毎回、自分の中でお話し合いを設けなければならない。

今、私は「趣味」の世界から「仕事」の世界へ踏み出そうとしている準備期間にいるのだろうか。で、結局、根性論にたどり着いてしまうのだが、とにかく量をこなし、質を改善して、「好き」の気持ちと「情熱」を忘れないようにして、継続して、という地道な方法が「唯一の方法」のように思う。

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