芸術家は波乱万丈に生きるべきなのか

芸術家って、なんだか波乱万丈に生きている人が多い気がする。というより、山あり谷ありの人生ストーリーというものは、人を惹きつける興味の対象になりがちだ。

「そういう、波乱万丈な経験があるからイイ絵が描けるのだろうか?」

と、小学生の時に思ったのだが、同時に

「じゃあ、うちは地味な生き方しかできんけん、無理かなぁ…」

なんて思ったものだ(まだ小学生なのに)。

しかし、ありきたりな日常の中に生きる人も、イイ絵を描く人は描くだろう。そのような人は、「ありきたりな日常を細やかに見るまなざし」を持っているような気がする。

アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth, 1917-2009)の作品が、まさにそうだと思った。

アンドリュー・ワイエス

アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth, 1917-2009)は、アメリカの国民的画家の1人で「アメリカンリアリズム」の代表的画家。戦前〜戦後にかけて、アメリカ東部の田舎に生きる人々やその風景を、鉛筆、水彩、テンペラなどで情緒豊かに描く。

作品を通して、ワイエスはアメリカ人に「アメリカとは何か」を示したかったと語っている。

アメリカの孤独な原風景は、佐賀生まれ佐賀育ちの私にも、何か揺さぶられるものがある。

体が弱く、学校に行けなかったワイエスは、家での勉強のかたわら、挿絵画家の父から絵の指導を受ける。彼の繊細な写実表現は、彼の父の影響もあるのだろう。

ワイエスの素晴らしい業績抜きで人生を見ると、ちょっとしたスキャンダルも確かにあったりする。しかし、結婚・家庭・最愛の家族の喪失・時間の経過による周りの人も変化など、いたって普通の人が送るであろう普通の人生経験のようにも見える。

自分の周りの世界しか知らない
ワイエスは、自宅のあるチャッズ・フォードと別荘があるメイン州クッシング以外、ほとんど旅行をしたことがなかったらしい。

そして作品の多くは、自宅と別荘の風景とそこで暮らす人々がテーマになっている。このことを知ると、「目の前にあるありきたりな風景」を、ワイエス がどれだけ細やかに観察していたかを考えさせられる。

そこで暮らす人々を描き続ける
ワイエスの作品には、体に障害を持つ女性や、黒人の中高年男性などといった社会的弱者が描かれることが多い。

代表作『クリスティーナの世界』は、美術の教科書などでみたことがある人も多いと思う。

美術の教科書が、当時の私の唯一の画集だった中学・高校生の頃、何度もこの絵を見ては「行ったことない場所なのに、なぜか懐かしい」と不思議な気持ちになったことを覚えている。

この絵に描かれたクリスティーナという女性は、ワイエスの別荘の近くに住んでいたオルソン家の方らしい。彼女は足が不自由で、日常生活は「腕の力」だけで移動するため、彼女の手は大きく描かれている。

病気がちで孤独を経験しているワイエスは、足が不自由なクリスティーナが自分の力で何でもやっているのを見て、その生命力に感動。その出会いのあと、彼女の死までのなんと約30年もの間、クリスティーナをモデルとして描き続けた。

彼女の他にも、長い間彼のモデルになった人はたくさんいる。フィンランド人とネイティヴ・アメリカンの混血の友人のウォルター・アンダーソンは、約50年間モデルを務めることに。

ワイエスは、人物に限らず同じモチーフを何年も描き続ける画家だった。

日常の中の波

「あの人は波乱万丈な人生で花があるなぁ」と、周りの人と比べているだけかもしれない。もっと、自分にフォーカスして自分を知ってみると、

「いろいろある中で、意外と自分って頑張って生きているんだな」

ということに気づくのではないかと思う。自分語りをするにはまだ早いかもしれないが。「日常」の中にこそ波があるのだと、ワイエス絵を見て思う。

ただただ派手に目立って生きるだけが表現に繋がるわけではないし、それが全てではない。静かに生きる人は、静かに生きる人なりの表現がある。

また、個人的にだが、刺激的な人生を送る人や絵より、ワイエスのような孤独で寡黙な生き方に惹かれるものがある。何か、奥底に力を感じるような絵だと思う。

いかに、
自分ならではの目線で考え、
自分ならではの見方でモノを見て、
自分ならではの表現できるか。

そこがポイントかもしれない。

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