去年のnoteを読み返す

約1年前に書いた文章を読み返していました。

去年の今頃、私は「社会に出て画家活動をする」か「大学院に進学する」か「就職する」かで悩んでいました。

今年で四年生。進路をどうしようかと、正直悩んでいます、焦っています。

頭の中で悶々と悩んでいるだけだと、結局堂々巡りになって、結局どうしたいのか分からなくなったので、文章化して現状を整理するためnoteしています。

こんな書き出しから始まり、どうして今、進路に迷っているのか、自己分析という名の堂々巡りが続きます(笑)

「懐かしいなぁ〜、もう一年前のことなんだ」と読み返していたら、こんな文章が目に飛び込んできた。

もう一つの不安は、実績がないということだ。

大学時代に公募展などで入賞を果たして活躍したわけでもない。何も評価されたことがない状態で、挑戦することに恐怖を感じざるをえない。

何か実績があったら、卒業後もその実績を生かしながら活動してみようかなと思えるかもしれない。「何もない」ということに…不安しかないね!

「えっこんなことで悩んでいたの?」

と、今の私、びっくりした。

「賞」や「絵に対する評価」など、実績が絶対だとでも言うように、何かに取り憑かれている去年の私。こんな小さな理由で「画家活動」をするかしないか迷っていたんだ、とちょっと他人をみている気分になった。

確かに、ある時期から実績が何も無いことに対して「吹っ切れた」感があり、

「私には実績も社会的肩書きも、もうなーんにも無いから、変なプライドは捨てて、できることを積み重ねていった方が私らしいかも」

と、考えることができるようになった。

でも、そういうふうに考えられるようになったのは、実は半年前だったりする(2020年7月現在)。

これまた今となっては「小さいこと」だが、1年かけて仕上げた卒業制作作品のフィードバックが(個人的に)微妙だったことがきっかけだ。

「評価」が絶対ではない事、先生方はきちんと作品をみてくれる信頼ある人たちだという事、は頭では分かっているし、卒業後も描き続けることへの「情熱」はあった。

それでも、賞をとった作品の横についている「〜賞」の札(?)と、何もついてないただ飾られているだけの自分の作品をみると、

何というか、まず、仕送りと大学生活を支えてくれた母親に対して「立派な娘じゃなくて申し訳ない」と思ったのと、「今までの自分の頑張りって何だったんだろう?」という自分に対する疑惑から、普通にへこんだ。

その後すぐに「ま、いっか」と切りかえたが…、そうか…、この時の私はまだ、「評価」が絶対の世界が全てだと思っていたんだなぁ。

◇◇◇

ただ、こんなことも書いている。

「絵を描いて生きていく」ことがすごく難しいことだと自分に思わせることで、何かと理由をつけて挑戦することを止めていたのだ。それをようやく認めた。

本当は「やってみたいこと」なのに、周りの人や社会、そしてそれにコントロールされた自分に流されていた。

なるほど、周りの人や社会に「流される」のと「流れる」のは違うよね。

「絵を描いて生きていく」事は確かに大変だけど、挑戦している「今」は、その大変さが楽しいと思っている。この時はたぶん、家族親戚の目、社会の雰囲気に「流されていた」のかもしれないね。

過去の自分から大切なことを教えてもらった気がします。

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