大学生の時、友人と中国内モンゴル自治区呼和浩特(フフホト)へ行く学生向けのツアーに参加した。
上海南駅から呼和浩特駅へは夜行列車で向かう。長い長い、列車の旅。目的地までの有り余った時間を、私たちは思い思いに過ごしていた。
同室になった子たちと他愛もない話をしていると、話題はいつの間にか「将来の夢は何かある?」という、ちょっと深い話になっていた。
私のように、まだよく分からないという子もいれば、明確に目標があって、今まさに大学で夢に向かって頑張っている、という子もいて、みなそれぞれという感じだった。そして最後に、写真が好きだという、ある男の子の番になった。
「僕は先生になりたいと思っているよ」
「どうして先生になりたいの?」
「んー、長生きしたいからかなぁ」
私を含め、その場にいた人たちはその答えにきょとんとした。私は、職業による長寿ランキングみたいなのがあるのだろうか…?とか、トンチンカンな考えを巡らせていた。
「どういうこと?」
「先生になりたいと思ったのは、僕の先生が『教師になったのは長生きするため』って言ってて、それがきっかけでね。
先生ってまずは『教える』ことが仕事でしょ。専門教科しかり、人間性とか…道徳的なことも含めて。その生徒たちの記憶の中で、自分の教えたことが生き続ける、っていうのが大前提の考え方としてあるんだけどね」
「うんうん」
「その連鎖は、もしかしたら教え子だけじゃないかもしれない。もし、その教えの中に、一つでも心に響く教えがあったとしたら。誰かがその教えを覚えていて、誰かにまたそれを教えたりするかもしれない。『担任だった○○先生が言ってたんだけどさ…』みたいな感じで。
自分が亡くなったあとも、誰かの記憶の中で生き続ける。その話を聞いた時にね、そういう風に僕もなりたいって思ったんだ」
「なるほど〜、だから長生きできるってことか」
「記憶の中に残る、という意味でね」
「私、その先生に会ったことないけど、すごく印象に残る話だったよ。今まさに、その先生の寿命が私の寿命分、伸びたかもしれないんだ」
「そういうことになるね(笑)」