先月、地域の子供達に向けてワークショップを行いました。
[12/16]答えなき楽しさを
そこで思ったことの別の話。
子供たちと話すとき、私がわからない身内話を突然しだす時があります。
「◯小知らないの!?」とか
「◯◯ちゃんがね〜」みたいな。
子供は「自分」を中心に置いて世界を見ている。
とかく言う私も、絵を描いているからか、主観的な見方することの方が多いです。分析したり言語化したりする作業は、別に必要ないとさえ思っていて、そのままの状態で受け止めたりすることがあります。逆に言うと、そういう作業が難しかったり苦手だったりします。
言葉にできないけど、理解している。
…果たしてそれは本当に理解しているのか、冷静に疑問ではあるが(笑)
例えば、「好きなモノ・コト」は感覚的に好きな事が多い。
なぜそれが好きなのか。聞かれたら答えるけれど、それ以上の言葉で語る必要ってあるのかなと思う。理屈っぽく聞こえないかな、とか。
ただ、自分中心的な世界の見方で語ることは、考え方や言い方が、幼く、子供っぽく見えがちです。
客観的に世界を見ることができる人の話っていうのは、まるで鳥瞰図のように物事をいろんな方向から見ていて、話し方がロジカルですよね。基本的に、そういう方のお話は、話している内容は分かるし、むしろ分かりやすいのだけど、たまにその「世界の見方」というか「視点」のズレが生じて、途端に、分からなくなる時があります。
そういうとき、相手の世界を押さえつけるような言い方をするのはやりたくないし、やってほしくない。伝わらなかったら、説明を加えるべきと思ってるし、そうしてほしい。押さえつけて、考え方を統一させようとするのは、洗脳に近い(そういうことにカリスマ性がある人は教祖の卵かな…)。
誰かの考え、だれかのモノゴトの見方とかに依存するんじゃなくて、自分の考えをもって、自分の世界の見方を知っていきたいですね。
で、子供達と比べて私は、幾分か大人なので(笑)、客観的に世界を見ているはず…。でも、彼らが私の世界の見方を尊重して話を聞いてくれるように、私も彼らの世界を尊重して、歩み寄らなきゃなと。そんなことを思いました。