旅して、絵を描いて。その繰り返し。

JOURNEY
photo by mimori

大学生になったら日本を旅しようと思っていました。
それも一人で!

そう決めこんだもんだから、学生時代は貯金をしては旅へ出て、また一年バイトして長期休暇に旅に出る…そんなことを繰り返してきました。

「一人旅」と聞くと、バックパッカーで海外一人旅なんかを思い浮かべますが、海外一人旅は自分にとってはかなり敷居が高い存在で、まだ挑戦したことはありません。学校同士の交流会や友達とツアーでなら行ったことはありますが、いつか海外一人旅もやってみたいです。



そもそも、どうして大学生になったら国内を一人旅したいと思ったのか。まず、「日本を知りたい」というごくごく単純で純粋な理由から来ています。

「自分の住んでいる国が、どんなところなのか知りたい」

純粋に、ただそれだけの理由です。

特に、高校を卒業するまでの間は、故郷(佐賀県)と九州各県しか行ったことがなかったため、北国への興味がとても強かったです。私にとって、北国という場所は未知の世界が広がる場所のようです。

旅を初めた当初は、この未知との遭遇とでも言うような、見たことのない風景を見ることが楽しいなぁと思っていました。最初はこんな感じで、旅はあくまでも自分の「趣味」の位置にあり、「旅」と自分の「絵」が繋がりを見せることはまだありませんでした。



自分にとって旅が絵を描く時に意味のあるものとなり始めたのは、福島県と宮城県に訪れた時。大学1年生の春休みでした。

話はちか〜っと脱線して、私が高校生の時。

私は高校時代、東日本大震災の被害を受けた福島県のとある高校の生徒さんらに絵を描いてもらって、それを佐賀に送ってもらい、ささやかながらも展示交流会をしたことがあります。

実際に現地へ行ったこともないし、その高校の生徒さんたちと会った事もない。しかし、「いつか絶対、その場所を訪れてみたい」という思いがずっと心の中にありました。

その「いつか」は意外と早く訪れます。

関東の大学に進学したことをきっかけに、物理的な距離として、東北との距離が近くなったのです。「あ、これはチャンスやな」と思い、その年に貯めたバイト代は東北の旅へとつぎ込んだのでした。


石巻を訪れた時、たまたま出会った住民の方と話が弾み、「せっかく来てくれたから、街を案内するよ」と、車を走らせてもらいました。

その方はもともと北海道出身でしたが、仕事の関係で石巻で暮らしています。海鮮料理が食べられる地元のお店や漁港、そして震災の跡地、堤防などを案内してくださいました。

その当時の私は、直感的に思ったことを拙いメモとして残していた。

問題はまだまだ山積みだが、少しずつ少しずつ「日常」に戻るために、たくさんの人が携わっていることが、肌で感じられた。時折覗く、暗い影を見ながらも、人も町も、確かに前に進もうとしている。

土地というものは、人の記憶や感情が積み重なった「層」のようだ。

土地はダンマリしているから、言葉を吐かないのは当たり前だが、人がつくった建築物などのような視覚的なモノをはじめ、その土地に住んだ人や訪れた人たちの色んな考えや思いも「層」になっている。それは土地の記憶とでも言うべきか。

(土地に対して、思い入れや愛着、憧れ、時に恐怖や嫉妬といった感情を、勝手に抱いたりしているのは、その感情を勝手に生み出している人間の方ではあるのだが)

この旅から帰ってきた後、この拙いメモをどうにか表現してみたいと思いました。いや、「描きたい」と言うより、(語彙力が足りないだけかもしれないが)言葉にしづらい“このこと”を「記録したい」と表現する方が近いかもしれませんが。

今まであまり意識したことがありませんでしたが、私にとって「絵を描く」行為は、表現というよりノートに記録するようなものであるようです。この旅は、そういうことを感覚的に理解できた経験でした。



で、どういうわけか、一人旅で訪れる新しい場所を見る度に、故郷のこともなんとなく考えるようになってきます。

人生初の一人暮らしを始めた当初、
「生まれて初めての場所での一人暮らしは、長い長い一人旅みたい」
そんなことを思っていました。

故郷がある人間にとって、故郷から離れれば離れるほど、脳内で勝手に美化された故郷のことを考えている、なんて人は自分の周りでもけっこう多いです。

私に関して言えば、「こんな田舎、早く出ていきたい〜!」って10代の頃はずっと思っていたのに、いざ離れて暮らしてみると、たまにしか帰らない故郷がたまらなく美しく見えてくる。不思議です。

それは、例えばデッサンや絵を描いている途中で全体のバランスを見るために距離をとって見る…なんてことをやるのですが、それとすごく似ているなと思います。

物理的・精神的に遠く離れたことによって、故郷のことをようやく客観的に見ることができるようになった。故郷が自分の世界の全てである頃は、比較対象となる場所がない状態だったので、客観的に見ることができなかったのは、仕方のないことなのかもしれませんが。

新しい場所に行くことで、それは少しずつ輪郭を見せてきたような気がします。

「比較する」と言っても、その「場所」に対して優劣をつけるというワケではなく、どちらかというと、比較することで今まで見えなかったモノを再発見していく、そんな作業に近いかなと思います。

「故郷の再発見」とでも言っちゃいたい。
これがなかなかに楽しい。
掘れば掘るほど出てくる。

そして、それを誰かに知らせたいと、子どものように思います。
絵でも写真でも文章でもなんでもいい、とにかく今にも消えそうなこの“故郷”を記録したい。
そんな感情が自分の中でざわついています。



一人旅は、よく「自分探しの旅」とも言われたりしますよね。

正直に言っちゃうと、「旅」と「自分探し」を重ねたその表現に少しゾッとします。そういうことを実践している人がなんとなく苦手でもあります(自分も似たようなことをしていたので、言えたモンじゃないが)。

ここじゃないどこかに本当の自分がいるなんて、ただの幻想で、最終的に行き着くところは、つまるところ自分。理想の自分や何者かになりたいと願うなら、結局は自分と向き合って努力して頑張らないといけないのだということに、なかなか気づけなかったり。分かっていても、楽したい・やりたくないって思ってしまうのが人間なのかもしれません。

他を知って己を知る、という意味でなら「自分探しの旅」の表現が合っちゃうのも、分からんでもないけれど。



一人旅の話からだいぶそれたような気がしますが、

外へ答えを求め、内へ答えを求め、また外に答えを求めに旅へ行く。
これは、けっこう時間もかかるし大変な作業ではありますが、純粋な楽しさもあります。

で、その繰り返しをしていると、ある時、作品へと昇華される瞬間があります。その瞬間が欲しくて、こんなことをやっています。

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