これが日本?モンタヌスの描いた摩訶不思議な国

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出典:Arnoldus Montanus『東インド会社遣日使節紀行』(1669)

学生時代、隠れキリシタンのお掛け絵について調べていた時がありました。

隠れキリシタンの聖画「お掛け絵」とは

その時、どこで見たのかもう記憶にはないのですが、おそらく本か何かで、ちょっと気になる銅版画の挿絵を見つけました。

それがコチラ、キリシタン弾圧について描かれた銅版画です。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

宣教目的で使節団を派遣していた当時のヨーロッパ諸国にとって、キリシタン弾圧は最も関心のあることの一つでした。拷問方法などが詳細に描かれたコチラの絵は、歴史的にも有名です。

そして、やっぱり私は絵を描いているからか、誰がこれを制作したのかがすご〜く気になるわけです。こういう風に、当時の日本という国の情報を、絵という形で記録していた人がいる。

調べていくうちに、この絵を描いたらしき人物を見つけることができました。


アルノルドゥス・モンタヌス

その人物とは、オランダの宣教師・歴史学者であるアルノルドゥス・モンタヌス(Arnoldus Montanus, 1625–1683)。

モンタヌスは、世界中の歴史・地理についての書籍を多数出版しており、その中の一つに『東インド会社遣日使節紀行』(1669)というものがある。これは、日本のことについて広く書かれた書物で、1669年にドイツ語訳、1670年に英語訳・フランス語訳が出版され、当時は広く読まれていたことがわかる。

おそらく、モンタヌス自身は主に書籍を編集・出版した人物で、挿絵自体は画家・銅版画職人にイメージを伝えて描かせたのだと思われる。

日本のことについて書かれたものはモンタヌスが出版する前にも存在していたが、それらは断片的な文字情報がほとんどであった。しかし、モンタヌスが出版した本は、散らばった日本の情報をグッと一冊にまとめ、かつそれを90点以上の挿絵という視覚的な情報とともに盛り込んだので、随分と画期的な本になったのだ。

そして、この挿絵が面白い。

どういうことかというと、日本について書かれた書籍であるのに、日本ではない摩訶不思議な国の姿が堂々と描かれているからだ。


摩訶不思議な国

実は、モンタヌス自身は日本に行ったことがない。
日本を紹介しているのに、だ。

内容も、挿絵に関しても、モンタヌスは見たことも行ったこともない場所のことを、イエズス会士からの報告書のような情報だけをつなぎ合わせて編集している。そして、その参考にした情報だって今ほど正確なわけではない。むしろ、誤情報や伝言ゲームの連鎖でもともとの形状が変わった、なんてモノの方が多いだろう。その結果、摩訶不思議な国の姿が描かれることになったのだ。


人々の姿

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

男女の服装に関する挿絵。
それっぽいけれど、着物の構造を表現するのは難しかったようだ。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

馬上の武士の挿絵。
やっぱりどことなく西欧風。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

ちなみに「切腹」は、やはり西欧人からすると驚きの光景だったようだ。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

仏僧に関する挿絵。
ただし、多くの人が知っているような仏僧にはちょっと見えない。


江戸城内の風景

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

奥の方にヨーロッパの庭園みたいなものがあるが、石垣や入り組んだ道などは、日本の城の特徴として描けているのではないか、と思う。


宗教

宣教目的でやってきた西欧人からすると、日本の宗教はなかなか理解し難いものだったと思われる。日本独特の自然信仰・神道、中国・韓国経由で入ってきた仏教や儒教その他諸々が入り混じった日本の信仰形態は、一神教の彼らからすると、きっと複雑怪奇なものに見えたに違いない。

また、この多神教・多信仰的な姿が、西欧人からするとインドのヒンドゥー教の信仰形態と似ていると思われたのかもしれない。モンタヌスの挿絵には、そういう要素が見られるものがたくさんあるのだ。

例えばコチラの挿絵。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

日本の創造神を説明しているのだというコチラの挿絵。
どう見ても日本じゃない。こりゃ一体、どういう状況なワケ?というカオスすぎる絵だが、実はヒンドゥー教の神話における「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)」という天地創造の場面と同じようなのである。

まだまだある。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

コチラは釈迦を描いた挿絵らしいのだが、やっぱりどう見ても釈迦には見えない。コチラも同じようにヒンドゥー教の神が描かれており、ヴィシュヌという神そっくりなんだとか。


出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

京都の方広寺の大仏を描いた挿絵(大仏は1798年に落雷で焼失してしまい、現在は無い)。

おそらく狛犬かと思われる対になった獅子像があり、その中心にはおそらく大仏らしきものが。よく見ると、なんだか胸が膨らんでいる。モンタヌスは大仏を婦人像だと考えていたようである。

建築に関しては、明らかにキリスト教の教会で見られるコウモリ天井のような造りになっている。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

コチラは比叡山の観音像を描いたもの。
手の多さから見て、千手観音像のことかもしれない。

そして極めつけはコチラ。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

「プサ像」と呼ばれているコチラの挿絵。
「プサ」とは「仏陀」または「菩薩」のことらしい。

どうしてそうなった、という感じである。


個人的なお気に入り

一つ目の個人的なお気に入り挿絵はコチラ。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

上流階級の婦人像を描いた挿絵。
手前の女性も変な扇のようなものを持っていて気になるが、それよりも奥の方が気になって仕方がない。

下男がへにゃっとした傘のようなものを女性に被せて歩いている。なかなか強烈なインパクト。どういう情報を元にして描いたのか、さっぱり分からない。この挿絵は、西欧人から見てもとても強烈に印象に残ったようで、後にも多くの作家がマネして描いているそうだ。

二つ目はコチラの挿絵。

出典:アルノルドゥス・モンタヌス『東インド会社遣日使節紀行』

西欧人からすると、頭を下げて挨拶をする姿が西欧人からすると印象深かったようだ。挿絵に描かれたものは、極端に頭を下げてお辞儀をしている。前屈しているようにも見えてちょっと面白い。この挿絵以外でも、この前屈姿勢お辞儀をしている人々がちょくちょく描かれている。



絵を描いていると、いつか誰かがこんなようなことを言ってくる。
「人間は知っているもの・見たことがあるものしか描けない」と。

モンタヌスの絵を見ていても、確かに意外性があって面白いのだが、日本より情報がまだあったであろうインドや中国「っぽい」要素が、やっぱり各所に散りばめられているように思える。

そりゃ、日本を見たことも、日本に行ったこともないのだから、分からないのは当たり前である。

その分からない部分は、今の自分が持ち合わせている知識を引き出し、組み合わせ、予想し、空想と想像力を存分に働かせて描くしかない。その結果が、これらの絵に表れていると思う。

ふと思うのだが、(少し大袈裟に言うと)情報がほとんど遮断された中で描くなんて、今の時代、なかなかできないことかもしれない。実際に見聞することはできなくても、今は良くも悪くも「デジタル」という情報が溢れすぎているからだ。

まだまだ世界の姿が今よりも分からなかった当時。

モンタヌスの空想力による(存在してそうで実際は存在しない)この不思議な国を紹介した本とその挿絵は、読者の中でまた各々の空想が広げられ、日本という未知の国へ強烈な憧れを抱く者も出てくることになる。それはまた後のお話。




〈参考〉
■Arnoldus Montanus『東インド会社遣日使節紀行』(1669)
国際日本文化研究センター|Rare Books and Maps List|Arnoldus Montanus『GEDENKWAERDIGE GESANTSCHAPPEN DER Oost-Indische Maetschappy in ‘t Vereenigde Nederland, AEN DE KAISAREN van JAPAN』東インド会社遣日使節紀行 オランダ語版
■Arnoldus Montanus『モンタヌス日本誌』和田萬吉訳 丙午出版社(1925)

国立国会図書館デジタルコレクション|モンタヌス日本誌
■クレインス・フレデリック『十七世紀のオランダ人が見た日本』臨海書店(2010)
■宮田珠己『おかしなジパング図版帖ーモンタヌスが描いた驚異の王国』PIE(2013)