「ウルトラマリン」は、絵を描くならパレット上に必ずあると言っていいくらい、よく使われる色。でも、それはここ最近のことで、19世紀以前までは金よりも高価な値段で取引されることもあったとか…。
ウルトラマリンとは
「海を越えてやって来た(来る)」という意味で「ウルトラマリン」と名付けられました。実際、ウルトラマリンの原料は、地中海を越える海路を経て、ヨーロッパ社会へやって来きました。
原料は宝石ラピスラズリ
「ラピスラズリ」名前の由来
「ウルトラマリン」の原料である「ラピスラズリ」の名前の由来を調べてみると、「ラピスラズリ」も言語の間で旅をしていたようです。
【لاژورد(lazhward:「ラズリ」の部分)】
└ ペルシア語
└ 現在のアフガニスタン・イスラム共和国
└ バダフシャーン州にある鉱山の古名
バダフシャーン州(Badakhshan in Afghanistan)
「lazhward」がアラビア語圏に入ると、
【لازورد(lazward)】
└ アラビア語で「天・空・青」
つまり「群青の空の色」を意味する
と変化。さらにラテン語圏に入り、
【Lapis(ラピス)】
└ ラテン語で「石」
つまり「lapis lazuli」で「lazward の石」
のように変化しました。
ちなみに、「ラピスラズリ」の和名は
・瑠璃
・青金石|
などと呼ばれます。
参考:Wikipedia|ラピスラズリ
絵の具ウルトラマリンができるまで
ラピスラズリは下の写真のように、多くの鉱物から構成されています。白のまだら模様になったものから真ん中の写真のようにキレイなものまで。
出典:Bodleian Libraries UNIVERSITY OF OXFORD|Exploring Ultramarine
なるべく他の鉱物が混ざっていないラピスラズリを選んだとしても、ただ砕くだけではグレーがかった青色にしかなりません。
下の動画では、ラピスラズリを砕いて絵の具にしていますが、やはりただ砕いただけでは少し灰色がかった青色に見えますね。(動画8分58秒)
「グレーがかった青色」に見えるのは、他の鉱物(雲母や方解石など)が混ざっているから。これらの鉱物は、光を乱反射させたり透過させたりするので、結果として「グレーがかった青色(=ウルトラマリンアッシュ)」に見えてしまいます。
純粋な「ウルトラマリン」を作るには、特別な工程が必要で、かなり手間ヒマかかってます。
以下の動画は、特別な工程を踏んで作っているバージョン。
この方法は、13世紀初頭に確立されたと言われています。
細かく砕いてパウダー状にしたラピスラズリを、蜜蝋や松やに、木の樹脂などと一緒に混ぜ、練って、灰汁の中で揉んで、ようやくウルトラマリンになる青の「顔料」が抽出…(動画1分25秒〜)
ウルトラマリンの歴史
青色は自然界から手に入れるのが一番難しい色とされていました。そのため、赤や黄色などの色と比べると、青色というのは、人が長い間手に入れることができない色だったのでしょう。
しかし、ある鉱山から青色となりえる鉱石・ラピスラズリを見つけ出します。
1|鉱山でラピスラズリを発見
Bodleian Library, MS. Elliott 287, fol. 34a
a young man picking a blue rock from the ground(地面から青い石を拾う男)出典:Bodleian Libraries UNIVERSITY OF OXFORD|Exploring Ultramarine
ラピスラズリを顔料としたウルトラマリンが初めて使われたのは、アフガニスタンのバーミヤンにある石窟寺院の壁画だと言われています。地理的に、ラピスラズリが発掘された鉱山に近いところにあります。
このエリアで発達した文明・メソポタミアでは、ラピスラズリは重要な輸出品でした。
メソポタミアのラピスラズリ・ペンダント(紀元前2900年頃)
ラピスラズリの輸出主要国の一つ、エジプトでは、クレオパトラがラピスラズリの粉末をアイシャドーに使ったとも言われています。
2|ヨーロッパ社会へ
15世紀初頭にヨーロッパ社会に登場したウルトラマリンは、芸術世界に大きな革命をもたらします。
しかし、地中海を経てやってきたウルトラマリンは、北ヨーロッパまでは「ウルトラ」できなかったようです。その希少性から、天然のウルトラマリンは時に金以上の価値になることも…
イタリアから北に位置するヨーロッパ諸国では、青の顔料はとっても手に入れにくいものでした。
3|画家を借金まみれにする
ウルトラマリンの青を使いたいがために借金をする画家もいました。貴重な「ウルトラマリン」を使うことは、画家にとっては名誉のあることだったのかもしれない。また、「ウルトラマリン」が使える
=絵を依頼したパトロンの富の大きさを示した、とも言われている。
ウルトラマリンの青を愛する画家として、「フェルメール・ブルー」で近年有名になったヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632年頃 – 1675年頃)も、ウルトラマリンを使うために多額の借金を抱えた画家の一人です。
ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾の少女》Girl with a Pearl Earring(1665)
《真珠の耳飾の少女》の少女のターバンの青は、ラピスラズリから作られた「ウルトラマリン」が使われています。その他、影の部分でも「ウルトラマリン」がグレーズ(西洋絵画技法:うすく溶いた透明な絵の具を上から重ねる)されているようです。
ミケランジェロ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simon, 1475-1564)の《キリストの埋葬》は、ウルトラマリンが手に入らなかったために、未完になったと言われています。
ミケランジェロ・ブオナローティ《キリストの埋葬》(1500年 – 1501年頃)
4|キメるところに使う色
高価すぎて普通には使えない色なので、芸術家たちは
「この絵の見せ所はここや!!」
という部分にだけ、ウルトラマリンを使うようになります。
ウルトラマリンが使われたのは、キリストや聖母マリアのローブ、天国などです。
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ《The Virgin in Prayer》(1640-50)
ウィルトンの二連祭壇画(右)(1395-1399)
思うに、聖母マリアのアトリビュート(=特定の聖人を指す道具などのこと)の一つに「青」があります。また、カトリック教会では、聖母マリアを表す古い言葉に「Maris Stella:海の星」があります。これは多分、「ウルトラマリン」の青の存在が大きいのではないでしょうか。
また、「ウルトラマリン」を使った作品といえば、イタリアの「スクロヴェーニ礼拝堂」はかかせません。ここは、壁や天井に「ウルトラマリン」をふんだんに使った贅沢な空間になっています。手掛けたのは、ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone, 1267頃-1337年)です。
イタリア、パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂、フレスコ画 (1305年頃)出典:ANMLI|Musei Civici Padova-Giotto cappella degli Scrovegni
5|フレンチ・ウルトラマリンの誕生
1824年、フランスの工業奨励協会は「ウルトラマリン」をもっと使えるようにしたいと考え、
/
ウルトラマリンの代わりになる顔料を 発明した人に賞金を与える!
\
と、発表しました。
そして、フランスの科学者ジャン=バティスト・ギメ(Jean-Baptiste Guimet, 1795-1871)がウルトラマリンの代わりになる合成顔料を発明。
Jean-Baptiste Guimet (1795-1871), French industrial chemist
本物のラピスラズリで作った顔料が「1ポンド=3,000~5,000フラン」。対して、発明された合成顔料は「1ポンド=400フラン」に。ウルトラマリンは、ようやく手が届く存在になりました。
参考:ターナー色彩株式会社|TECHNICAL information|JUST PAINT
この合成顔料は、彼の名前をとって「ブルー・ギメ(bleu Guimet)」または「フレンチウルトラマリン」と呼ばれています。
Bleu Guimet
天然のウルトラマリンと比べると、フレンチウルトラマリンはとても安価。しかも、天然のウルトラマリンとほぼ変わらない色合い。フレンチウルトラマリンは、19世紀以降の芸術世界に大きな変化をもたらしてくれたと思います。
賞金を手にしたギメは、絵の具の革命を起こし、同時に莫大な遺産も築きました。
こぼれ話
ジャン=バティスト・ギメの資産を受けついだ息子のエミール・ギメ(Émile Étienne Guimet, 1836年 – 1918年)は、アジア美術の蒐集家として知られています。彼は日本にも来たことがあるみたい。
フェルディナンド・ジャン・ルイジーニ《エミール・ギメの肖像》(1898年)
東京駅近くにある学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」では、エミール・ギメが集めたモノを展示した「ギメ・ルーム」が設けられており、そこには「ギメ・ブルー」も展示されています。
\「ギメ・ブルー」とその他いろいろ!/
東京大学総合研究博物館HP|ギメ・ルーム開設記念展『驚異の小部屋』
6|ウルトラマリンとの違い
「天然のウルトラマリン」と比べた動画がありました。
あえて言うなら、「粒子の細かさ」ぐらいではないでしょうか。
天然ラピスラズリから作られたウルトラマリンの方が粒子が大きく、不規則なようです。