ある言語が消滅するということ

中国政府は内モンゴル自治区で2020年9月1日から中国語(汉语)メインの授業をスタートさせる。その背景として、モンゴル国でロシアのキリル文字から伝統的なモンゴル語の復活の動きが出てきたことがあるようだ。

これに対し、内モンゴル自治区ではモンゴル民族が抵抗を見せている。内モンゴル自治区はモンゴル国と違い、伝統的な縦文字のモンゴル語を使っている。アラビア語を縦にしたような文字だ。内モンゴル自治区に行くと、中国語とモンゴル語が並んで表記されているのを見ることができる。

(写真)
2017年08月撮影

看板を見ると汉语の上に(たぶん)モンゴル語が表記されている

3年前、私は内モンゴルの呼和浩特(フフホト)へ行った。小学生の頃ぐらいからモンゴルに憧れがあった私は、その装飾的なモンゴル語のことは知っていた。が、実際に目の当たりにすると、純粋に「この文字が使えるようになったらカッコイイな!」と思った。

そこからずっと、片思いのように「知りたい、学びたい」と思い続けている。なんせ、情報や教材などが少ないのだ。探したり発掘したりするのにかなり時間がかかる。それが楽しい部分でもあるのだが。

実は、私は昨今のウイルスの状況が収まったら、もう一度呼和浩特へ行って何年か滞在してみたいと考えていた。モンゴル語(もちろん中国語にも)にふれる生活を体験したいと密かに心待ちにしていたところで、この有様だ。悲しい。

最近は「言語がなくなるとはどういうことか」「なくなるのは仕方ないことなのか」と考えている。

モンゴル語の他にも、世界には消滅しそうな言語がたくさんあるし、消滅した言語もたくさんある。日本だと、アイヌ語や琉球語、一部方言などがそうだろう。

以下は北アフリカ?の少数民族の言語話者があと2人になった記事。

Saving southern Africa’s oldest languages

こうやって、小さいものは大きなものに飲み込まれるしかないのだろうか。

彼らの言語を否定することは、彼らの存在を否定することと同じだ。モンゴル民族が抵抗するのも当然だ。というか、もし明日から「君が今使っている言語、廃止」なんて言われたら「は?」って普通に反対する、自然な反応だと思う。

私に限って言えば、高校受験の面接の練習では、方言を使わないで標準語で話す練習をしたのだが、「なんか、方言を使う自分の存在を否定されているようで嫌だなぁ」と思ったほどだ。今は、日本語の標準語を使うことに抵抗はないが、帰省したら、佐賀弁の、そしてさらに地元だけにしかない方言を使って会話をしている。方言をしゃべると、素の私が登場するような気がする。

それにしても、自分の無力さがイヤになる。今の自分にできることと言えば、情報収集や書物の収集ぐらいだ。自分の力ではどうにもならないことは、できることしかできない。だから、できることはやっていこうと思う。文化を守ることはきっとできると願っている。

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