引っ越し・創造と破壊・繰り返し

国民年金の学生納付特例の通知書を整理していたところ、自分の住所が毎年違うことに気づいた。つまり、大学生の時、私は毎年のように引っ越していたということか。

ちなみに、今年に入ってからはすでに2回引っ越している。

引越しが好きというわけではないが、どうも、一つの場所にとどまることができないようだ。もちろん、将来的には佐賀に落ち着かせたいと思っているが。

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思うに、部屋が成熟すると壊したくなる衝動にかられるのだと思う。

私は、モノが多いことがキライだ。ミニマリストほどではないが、なるべく少ないモノで暮らしたい。絵を描いているから、画材などのようにどうしても減らせないモノもあるが、それでもモノは本当に少ない方だと思う。

だが、1年も暮らしていると、その部屋の大きさに合ったモノの量に増えてくる。それに気づくと、いったん全てを一掃したいというか、老廃物を排出し、新しく入れ変わるように、新陳代謝を起こしたくなる。

家に帰ってきたときに、部屋の明かりをつけて、部屋の全貌が視界に入り、「バランス悪いな」と思ったその時が、「片付け」or「引越し」のタイミングだ。

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引越し先が決まって、引っ越した後の部屋作りも楽しい。
なるべく新しいモノは買わず、今あるモノだけで工夫しながら、パズルのようにモノというピースを当てはめていく。

ある程度モノを配置した後、私は配置したモノを離れた場所から見る癖がある。

例えば、服を畳んでタンスの中にしまった後、ちょっと離れた場所から、先ほど畳んでしまいこんだ服の配置を見る。そして、「バランスが悪い」「ここにちょっと余裕がほしい」などと思ったら配置し直す。本も、クローゼットのハンガーの位置も、お風呂セットも、引き出しの中の小物も、全部離れてからバランスを見る(ちょっと病的だと自分でも思う)。で、しっくりきたと思ったら、そのモノの定位置が決まる。

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部屋は、自分の世界の縮図だと思う。大袈裟でおこがましいことを言うと、「部屋」という世界を作る自分は、創造主的な感じがする。一人暮らしだと特に。小さな4畳半の部屋という世界の中で、自分が創造主となって自分の好きなモノだけに囲まれる空間を創れるのだ。

自分の世界(部屋)が、ちょっと治安が悪かったり(掃除サボった)、ちょっとカオス状態(モノが散乱)だったりするのは、意外と許容範囲だ。

そして、ある段階になると、平城京を平安京に移動させたように、大革命が勃発する。自分の中で「引っ越し」という「プチ・ヒストリー」が繰り広げられている。

今は越してきたばかりで、部屋も立地にも満足している。だからさすがに引越しの予定はないが、1年後、いや半年後ですら、どうなっているか自分でも分からないところではあるが。

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