香りの記憶|麦茶じゃなくてルイボスティーだった

最近、コンビニとかで売っている「ルイボスティー」をよく飲んでいる。私は、ルイボスティーの香りや味が好きだ。

飲むときに一緒に鼻から息を吐くと、ルイボスティーの香りが鼻の中に広がり、ぬけていく。それがなんだか心地いい。

懐かしさを感じるのだ。

学生時代、図書館の横にあったリサイクルボックスの中に、花に関するめちゃくちゃ古びた本が置いてあり、何気なく手にとって読んでいたら「香り・匂いは記憶に一番近い」みたいなことが書いてあった。

脳に一番近い「感覚」だから、匂いで記憶を呼び覚ましやすい、とかどうとか書いてあった気がする。でも、まさにその通りかもしれない。

私は子供の頃、ルイボスティーを飲んでいた。しかし、飲んでいたそれがルイボスティーだったとは、つい最近まで知らなかった。代わりに、ずっと麦茶だと思っていた。

だからある日、母とこんなやりとりをした。

「昔はさ、麦茶がほんのり甘く感じよったと。でも、成長するにつれてその甘さの分からんごとなった。あと、麦茶の色も、昔の方がなんとなく赤かった気のすると」

「あら、あんたが飲みよったとはルイボスティーばい」

「えっ、そがんやったと!?」

と、こんな感じで真実を知った。

母曰く、私ら子どもの健康に良いかも、と思ってルイボスティーを飲ませていたそうだ。だが、私が小学生になった時ぐらいからだろうか、家のお茶は麦茶になった。麦茶に変えた理由も、母のことだ、「なんとなく」なんだろう。

だから、ルイボスティーを飲んで、甘さを感じ、香りをかいでいると、懐かしさを感じてきたり、幼少期にお茶を飲んでいるシーンが脳裏に浮かんでくるのは、意外と間違っていない感覚だった。

つまり何が言いたいかって、「身体」ってやっぱり不思議で面白い、ということだ。自分の身体なのに、自分でも理解できないことが起こる。

匂いをかぐだけで、なぜ「幼少期にお茶を飲んでいるシーン」が思い浮かぶのか、そのメカニズムが最初は全然分からなかったけど、とりあえずこれで説明ができそうです。

自分でも理解できないことが起こるからこそ、大事にしなきゃなと思ったし、今日もまた、自分の身体を実験台かのように、ルイボスティーを身体に入れて、懐かしさ、心地よさを感じて確かめている。

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