いつだったか。
祖母と2人で夕方の雨上がりの空を見上げていました。
「すごかね〜、雲の流れていきよる〜」
「『佐賀行く雲の雨みやげ』たいね」
と祖母が一言。流れていく雲を見て言いました。
「なんそい?どがん意味?」
祖母が教えてくれたその言葉は、おそらくこの地域独特の言い回しみたいなもので、「佐賀」は「佐賀市」のことを指していて、「みやげ」は「お土産」のことだと言う。
「佐賀市方面に流れていく雲が、佐賀市に着いたらそこで雨のお土産を渡すでしょう=佐賀の方ではこれから雨が降る」といった感じ。
「え〜、雨が『お土産』になると〜?」
私からすると、雨って「置き場所に困るお土産」としか思えない。
雨が降ると、傘や雨ガッパとかの雨具を学校に持っていかないと行けないし、電車やバスの中は湿気と熱気で充満しちゃって、手荷物も目の前の空気も私たちも、いっぱいいっぱいだ。
しかし、昔だと天からの雨を「お土産」と表現できる、今とは違った精神の豊かさがあったのかな、とも思います。
今を生きる私が、小さなことで満足できなくなったのは、私たちの生活の次元が上がったせいなのか、それとも何か大事なものが失われてしまったからなのでしょうか。祖母の言葉に、色々と考えさせられます。