大学1年の時、初めてバイトに応募した。
受かったところは、とある子供写真館だ。私はそこで受付や撮影で着る衣装の案内、ちょっとした着替えや撮影のアシスタントをする仕事をしていた。
バイト自体が初めてだったというのもあるが、もともと私は物覚えが悪い方だ。その証拠に、その2年後に入ってくる2つ下の後輩、ごくごく普通の子だったが、私より仕事を覚えていった。私の方が2年長く働いているのに…。
「後輩の方ができる業務多いじゃーん。がんばれよ〜」と、職場の先輩によくからかわれていた(愛がある方のからかい)。
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パートのママさんたちがほとんどだったこの職場は、面倒見が良い方たちが多く、かなり恵まれた環境だった。もの覚えが悪くても、根気強く、丁寧に教えてくれる人が多かった。そのおかげもあって、何度もめげたが、4年間続けられた。
仕事で失敗しても、
「今度から気をつけるんだよ。君だから許してんだぞ〜」
「ゔゔゔ…グスン、すみません〜(泣)」
と、このやりとりを何回も繰り返した。涙腺弱いので何度も涙をこらえ、涙を流した。たかがバイト、されどバイトなのである。
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この時は「若い」から許されていた部分もあったのだろう。
このまま歳を重ねて「若く」なくなった時、教えてくれる人から疎まれる存在になるのだろうか、と勝手に妄想し、よく不安にかられていた。
また、大学の同期らや周りからは、なぜか私が「できる人」と思われることが多く、それもけっこうプレッシャーになっていた。勝手にプレッシャー感じていただけかもしれないが。
だから、できない自分に対しての「怒り」からよく涙を流していた。この涙のことを、友人は「武士の涙」とよんでいた、流石すぎる(笑)
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でもよく考えたら、人間、できないことの方が多いのである。全治全能の神ではないから、前できなかったことが、できるようになっただけですごいことだと思う。
もちろん、要領のよさや記憶力・判断力などの個人差で、「できる人・できない人」とラベリングされることもあるが、そこを他人と比べても意味はない。上には上がいるし、下にももちろん下がいて、キリがないからだ。
比べるべき人を「自分」に設定するだけで、随分とマイペースになれる。私の場合は「自分」に設定していたのだが、自分は自分でも「理想の自分像」だったから、余計にタチが悪かったかもしれない。
「理想の自分像」というのは、幻影みたいなもので、追いかけても追いかけても捕まらない。
最終的な「理想像(ゴール)」を持つのは別にいいとして、比べる対象は少なくとも「昨日の自分」くらいにしとく方がいいかもしれない。
そうしたら、昨日できなかったことが、今日少しできるようになっただけで、「え、すごいじゃん自分」と思うようになる。人間、できないことの方が多いから、それでいいのだ。