二風谷での会話|鹿と“気持ちの問題”

JOURNEY

大学4年の夏休み、私は北海道一周の一人旅をしていました。

九州出身の自分、今まで知らなかったのだけど、北海道では鹿が害獣扱いされているとのこと。確かに、北海道を一人旅している時、ありとあらゆるところで鹿を目撃していました。

最初は「微笑ましいな〜」とか甘っちょろいことを思っていたのですが、宿泊先のオーナーさんと話をする中で、本当に鹿の被害に困っているんだなというのが分かりました。庭の花を食べ、線路を舐め(鉄分を摂取するため)、電車は遅れ、畑は荒らされる。確かに、たまったもんじゃない。

そのため、鹿の駆除が行なわれているそうです。
ただ、「鹿を駆除しましょう」だけじゃ鹿の命に申し訳ないので、「美味しく食べましょう」「獲りましょう、食べましょう」がモットーらしい。




「狩猟というのは、スポーツとしてのハンターとかなり似ている」

そう話を切り出したアイヌのカイさん。

「銃を持つ、まぁ、そういう人たちは、ようは撃ちたいんだよ。

最近はなんかほら、「狩ガール」ってのもがあるみたいでさ。撃った鹿や熊の上に乗って、ポーズをとっている写真をInstagramにあげている人たちを見ちゃったんだよね。

俺たちアイヌから見れば、熊なんかは「カムイ(神)」なわけだから、そういう行為って本当にありえない。信じられないこと。

そのInstagramに写真をあげている彼(女)たちの本心は、わからないよ。ちゃんと獲った動物に対して感謝をして、ありがたく食べている人もいるかもしれない。でもね、写真やコメントから、そういうことが読み取れない時もある」

そして残念なことに、そういう人たちがすごく増えてきているんだ、とカイさんは小さくため息をつきます。

「増えてくるとね、それが産業として成り立ってしまうんだよ」

「なるほど…」

「お金になると、国や道が推奨する。鹿を撃ちたくて北海道に来た人が、ついでに北海道を観光するとか、そういうプランを作り出す。そういう風に、すべてが推奨されてしまうんだ」




「俺の友達に、アイヌじゃないんだけど、アイヌの精神を持って狩猟をやっているヤツがいてね。

彼も、鹿を撃つことは撃つけれども、常にカムイに祈りをするし、自分に捕らえられた鹿は、自分の的のところに来てくれたのだ、って考えてる。もちろん、ちゃんとさばいて、全部食べる。

気持ちの話なんだけど、「獲物だ!撃つ!」っていう考え方の人とは、やっぱり雲泥の差があるんだよ」

「なるほど、すごく共感できます。でも「精神の話」ってなかなか難しいですよね。そういうのって、なんというかその、非合理的というか」

「そう、そうなんだよ。でもね、そういうことを忘れないようにしたいし、うまく伝えていきたいんだよね。今の時代、お金になるとわかると、そういうことが全部すっ飛ぶから。それが一番怖い。

そこに「精神の豊かさ」って、ないんじゃないかなって思う」




すごく難しい問題です。「精神が」とか「気持ちが」みたいな考え方から入ることって、やっぱり非合理的だと言われることが多いです。お金にならない。綺麗事なんて言ってられないし、みたいな。

「私も、よく非合理的な考え方だと言われることがありますよ(笑)」

「まじで?(笑)」

「例えば…、小学生の時、通学路にあったヤナギの樹が、道路を拡張するからっていう理由で伐採されたんですよ。伐採の跡を見た時は、ものすごく悲しかったし、辛くなりましたね」

「あ〜、まさに。そんなこと言ってたら、道路できないし、不便なままになっちゃうもんね(笑)」

確かに、合理的に物事を考えたり行うことも大事ですが、非合理の裏にある精神の豊かさを語るカイさんの話にもすごく共感できます。

「今は特に、すごく沢山の、何か、大事だったはずのことを失ってきている感じがする。そういう将来ってさ、寂しいよね」