絶賛帰省中。
お盆の朝、5時半頃起きて台所に行くと、祖母が「だんご粉のなかー、買い忘れた。」と。母は朝ごはんを作っていたので、代わりに私がコンビニで買ってきた。
「今日はお盆けん、お尚さんも来んしゃーし、お供えのだんごも作らんばし、仏壇にぼんぼりば提げんばし、墓参りにも行かんばし…仏さんにあげる花も買うてこんぎ。今日はやることのいっぱいある。」
そう言う祖母に対して、私の母は少しうんざり気味というか。そのやりとりを側で見ていて、「日本の仏教」はお年寄りのもの、という感じがした。特に田舎の方。
私が言う「お年寄りのもの」というのは、お年寄りがそれを「独占してる」というより「その世代向け」に作られたもののように見える、という意味が強い。「その世代向け」のものは、いっぱいこの世にあるが。
とりあえず普通に言って、現代生活に合ってない。
医者や看護師の叔父や従姉妹らはお盆期間中も勤務だと言っている。もちろん、これは医療関係に限らずであり、それぞれでそれぞれのお盆の過ごし方がある。
きっと、昔はどこも「同じようなお盆」を過ごしていたのだろう。また、休暇などに「何をするか」の選択肢も今よりずっと少なかったのでは。
今は「何をするか」の選択が比較的自由、かつ、その選択肢も増えてるから、色んな過ごし方がある。供給側(例えば旅行会社など)も、色んな過ごし方を提供している。
そんな中で、墓参りやらなんやらを…と言われても、仕事や育児、家事などを担う母からしたら、お盆行事へ意識を向ける事自体「うんざり」なんだろうな…。それ以外にも普通にやる事あって、普通に忙しい。仏教離れになるの、分かる。
新しい取り組みをしている所はあるっちゃある。それでも今のままだと、遠〜い将来、仏教は消滅していく?以外と田舎の方から消滅していったりして。文化と習慣として古くから日本に根付いているから、なかなか消滅はしないだろうけど。
寺社は供給側として色々と試行錯誤してると思う。しかし、本気で地域の人に興味もってもらいたいなら、地元のお寺に関して言うなら、それはまだまだかな~と。お寺側も大変やろうな。跡継ぎどうしようとかその他色々あるだろうし。
私の高校時代のクラスメートに家がお寺の子がいたが、音楽やってて、お寺でピアノ弾いたりドラム叩いたりしていた。その子は好きにやってたし、これからも好きに生きていくと思う。そんな感じで、「お寺に生まれた=将来的にはお坊さん」ていう世の中でもない。
しかし、田舎に帰った時に仏壇やお墓などを通して自分のルーツが見えるというのは、なかなか感慨深い。帰ってくる場所が与える揺るがなさ、みたいなもの。
あと、父や弟はお墓に居るので、いつもお墓を管理してくれている祖母には感謝の念しかない。帰省した時だけになってしまうが、お墓参りに行くことができる。でも祖母の体にとっても、家族にとってもお墓の存在は負担になってるだろうな…。
今の仏教スタイルをまあまあディスった箇所もあるが、むしろ私は、祖母のような人がまだまだこれからも居てほしいなと願っている方である。
盲目的な信仰をしてる人、という意味ではなく、なんだろう、素朴な感覚?を備えている人?日本の仏教にくっついてる先祖崇拝からそれは感じるかも。
彼女はただ先祖崇拝をしてる訳でもないように見える。自分のルーツを大切にできているのかな。特別有名な家系じゃないけど(普通の農家の家系)、そんな自分のルーツを受け入れて誇りに思ってる所、すがすがしい思考だなぁと思う。
だからなるべく帰省して、それを肌で感じたい。変化も感じたい。そこで残したいなと感じたモノ(物理的なものも、そうでないものも)はこういうnoteなどに記録したり、油絵や銅板画の制作へと昇華させたりして。