和菓子|落雁で使われる「菓子木型」の彫刻が芸術的

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「落雁|らくがん」とは、「干菓子」に分類される日本の伝統的な和菓子の一つである。

砂糖の塊?のような感じで、独特の甘さの落雁に苦手意識を覚える人も多いと聞く。かくいう私も、嫌いではないが好んで食べることはない。お盆の時に祖母が買ってきた落雁は、最終的には粉々に砕かれ、小麦粉と一緒に混ぜられてホットケーキになるのが毎年のオチである。

我が家の落雁は粉々になる運命を毎年迎えているワケだが、落雁の造形美を砕いて壊すことにはちょっとした罪悪感を感じているのだ。和菓子全般そうかもしれないが、その造形が芸術作品だと称賛されるように、食べるのがもったいない。

和菓子の「練り物」は、粘土細工のようにして形を作る。一方の落雁は、どのように作られているのかというと「打ち物」と呼ばれる製法で作られて、その時に「菓子木型」という道具が使われている。

和菓子の製法
 【打ち物】落雁、和三盆などの干菓子
 【焼き物】焼き饅頭など
 【練り物】練り切り求肥などの生菓子
 【蒸し物】上用饅頭など
 【流し物】羊羹など

で、この道具である木型が飾って眺めたいほどで、工藝品のように美しいのだ。

というわけで、今回は和菓子の道具である木型について調べてみた。


落雁のあれこれ

photo by みもり|落雁(2018年8月撮影)

その前に、落雁とはどんな和菓子なのかについて、簡単に説明したいと思う。

「落雁」名前の由来

落雁は「落ちる」に「雁」と書く。

これは、中国の「軟落甘」という菓子が日本に伝わった後、「落甘」などと転化していき、最終的に「落雁」の字を当てたのだという説がある。しかし、この「落雁の字を当てた」という説にも、またいくつか説がある。


近江八景の堅田落雁と中国の平捗の落雁の景色のが似ている、という説。「落ちる」に「雁」と書くが、縁起の悪いものではない。空から堅田の地に舞い降りてくる雁の情景のことを指す。ちなみに、落雁は秋の季語でもある。

歌川広重(1797-1858)《近江八景之内 堅田落雁》1834年頃
大判錦絵|225×351 mm|山種美術館
出典:WIKIMEDIA COMMONS


室町時代・足利義満の頃。本願寺の綽如上人が北陸巡錫の時に白地に黒ゴマが点々とある菓子を出された。これが、雪の上に雁が落ちる様子に似ている、という説


山城(京都)の三代目・坂口二郎がに有栖川宮の命により後陽成天皇に献上した時、御製と封印を賜った。後にこれを「落雁」と呼ぶよう になった、という説。


金沢藩三代藩主,前田利常(1593-1658))公が,菓子を後水尾天皇に献上。田の面に雁が落ちる様子に似ているとして、落雁の御染筆を賜った。この名に御所の字を加え「御所落雁」とした、という説。

参考:『食文化の研究ー干菓子と生菓子についてⅠー』(2011)中村学園大学・中村学園大学短期大学部研究紀要 第43号 115頁

いずれにしても、鎌倉時代の落雁は、白い地に黒ゴマというのが定番だったようだ。


「落雁」が使われるシーン

【供饌菓子用】
仏教や神道で落雁がお供物として用いられる。身近なのがお盆だ。落雁をお供えする由来はいくつかあるが、最もよく知られているのは釈迦の弟子・目連のこの話である。

目連は、亡くなった母が餓鬼道に堕ちていることを知り、水や食べ物を母に差し出して助けようとする。しかし、食べ物は炎となって口へと入らなかった。どうすればよいかと釈迦に尋ねたところ、「全ての修行者に食べ物を施しなさい。そうすれば母親の施しにもなる」と助言をもらった。目連は、修行者たちに甘いモノを施したところ、修行者たちの喜びが餓鬼道にも伝わって、母を救うことができた。

このことから、落雁をお盆にお供えするのは、施し(=施餓鬼)をして餓鬼道に堕ちた者を救うためだと言われている。

しかし、当時は今と違い砂糖はとても貴重なものだった。そのため、当時は砂糖菓子の代わりに果物が供えられていた。時代が下ると庶民の間にも砂糖が広まり、日持ちする落雁を果物や花に象って、これを代用品としてお供えするようになった。


【祝儀用】
引き出物として「落雁」が多く使用されていたが、他の菓子(羊羹やカステラなど)にとって代わられ、現在ではほとんどなくなった。

【茶道用】
室町時代になると茶の湯が盛んになってくる。タイミングよく、「落雁」は「御茶菓子」として普及し始めた。一般庶民の間でも「落雁」がお茶菓子として定着し始めた江戸時代初期頃から、現在に見るような四季折々の草花や、鶴・亀、松竹梅などが作られるようになった。


「菓子木型」は道具か作品か

菓子木型は、主に「打ち物」と呼ばれる製法で作られる「干菓子」などで利用される。

干菓子とは、落雁を想像してもらうと分かると思うが、水分の少ない乾燥した和菓子のことだ。干菓子には落雁の他、金平糖や煎餅などが含まれる。

そして打ち物とは、木型にギュッと詰め込んだ菓子の生地を、まな板に打ちつけるようにして取り出す製法である。

打ちつけるようにして使う道具なので、それに耐えうるよう桜や樫などの堅い木が使われている。木型は一つ一つが木型職人の手作りだが、それに模様を彫るのは至難の技だ。見ると、堅い木に彫られているとは思えないような繊細な模様が彫り込んである。

当たり前だが、彫った図柄は落雁にしたときに反転する。版画のようなものだ。

ところで、スマホの内カメで自撮りをしたことがある人なら分かる?かもしれない。撮影した後の写真は左右反転したまま保存されることが多く、その自分の顔が左右反転した状態の写真を見ると、なんだかバランスが悪く、変な感じに見えるのだ(「私、実際はもうちょっとカワイイのに?」的な。最終的にアプリで反転し直している)

それと似て、自分の絵なんかも鏡に写すと途端に「くるい」が分かる。実際、デッサンなどでくるいがあるか確かめるのに鏡で反転させて見ることもある。

要は、反対になるとくるいが顕著に現れることが多いのに、それがないように彫るのはかなり難しい、ということだ。

また、工藝品のようだと言いながらも、一応は道具なワケである。そのため、効率的に作業できるよう一枚の板に複数の同じ模様が彫られている。ここでもまた驚くのだが、同じ模様を同じように彫る技量の高さよ。


「菓子木型」の種類

木型はどのような菓子を作るかで、いくつか道具に種類分けされる。

菓子木型の種類

【一枚型】
 1枚の板で作る→ 片面に模様が出る
 薄い干菓子用

【二枚型】
 2枚の板を合わせて作る→ 裏表に模様が出る
 厚い干菓子用→ 中に餡などを入れることができる

【変わり型】
 3枚以上の板を合わせて作る→ より複雑・立体の菓子を作ることができる

【その他】
 [ 瀬戸型 ]
   陶器の型
   寒天を使った菓子、水羊羹などに用いられた
   夏から初秋にかけての風物が多い→ 百合・桔梗・水紋・紅葉など
 [ ガラスの型 ]
   大正時代頃に使われていた

参考:富山短期大学学術情報リポジトリ|深井康子「菓子木型の形と歴史に関する基礎研究」(2005)55-60頁

木型には、木型職人の名前が墨書きされたり刻まれたりしているものがある。名前が入っていると、その職人の作品としての思い入れみたいなものを感じる。

思うに、落雁は木型の複製品で、かつ(食べるから)消耗品である。そう考えると、木型こそがオリジナル・一点モノのような感じがして、なんとなく価値があるように思えてくる。

とはいえ、「一点の作品」のように見えても、やっぱり本来は「一つの道具」だ。和菓子職人がこの道具を使って菓子を作らない限り、作品としても未完成なのではないかと思う。


<参考>
中村学園大学学術リポジトリ|「食文化の研究ー干菓子と生菓子についてⅠー」(2011)中村学園大学・中村学園大学短期大学部研究紀要 第43号 115-120頁
富山短期大学学術情報リポジトリ|深井康子「菓子木型の形と歴史に関する基礎研究」(2005)富山短期大学紀要四十巻 51-62頁

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