芸大・美大に行く意味はあるか

ART

「絵を本格的に描きたい!」
「画家・芸術家になりたい!」

そう思った時、選択肢のひとつとして「芸術を学ぶために学校に通うかどうか」ということを考える人は多いと思います。

「アカデミックな場所で芸術について深く学んだ上で、自分の作品に生かしたい!」

と考える人もいれば、

「日本の大学なんて行っても意味ないし学費の無駄じゃない?絵の描き方なんてネットを探せばたくさんあるし。独学でいいじゃん!」

という意見もある。

特に、進路で悩む高校生の中でも「自分のこと」や「自分がどういう人間か」ということが、ちゃんと分かっていない限り、けっこう難しい判断になりますよね。

この記事では、実際に美術・芸術大学に通った私みもりの視点で「芸大・美大に行く意味」について、考えをまとめてみました。今、進路に迷っている人に対しての「一つの参考」になればと思います。

《私の実体験》

最終的にある大学の芸術学部に進学・油絵と銅版画などの芸術のことを学んで卒業した私。「大学で絵を学びに行ってよかったですか?」と聞かれると、

「行かんでもよかったかもしれんばってん
 行ってよかった」

と答えると思います。
実は、自分自身でも本当によかったのかどうかは分からないのです。


というのも、大学時代に何か賞をとったわけでもなく、いい絵が描けたわけでもなく…。成績や技術の面を見ると全部「中途半端」でした。まァそれはどうでもよくて、一番は自分の生き方の「方向性」がわかったコトが収穫です。

「成績はよくなかったけど、自分の<アイデンティティ>として、また<ライフワーク>として、これからも絵を描き続けたい」

と、強く思えることができたから、今も絵を描き続けています。

前置きが長くなりました。
今回は「芸大・美大に行って卒業した」という前提で、個人的な考えを書いてみました。私の個人的な意見なので、参考までにね^ ^


芸大・美大のメリット1|受験準備で基礎的な技術を叩き込まれる

1つ目のメリットは、「受験準備で基礎的な技術を叩き込まれる」ことです。これは、目指す芸大・美大のレベルにもよりますが、少なくとも入試では

「私は大学で作品を制作するための 「基礎」ができています!」

ということを、証明する必要があります。

「基礎」ができているかを見るために、「センター試験」や「大学入学共通テスト」「大学の入学試験」が用意されていますよね。それとなんら同じ構造です。

芸大・美大受験も他の科と同じように、「基礎」ができているかどうか、大学で専門的に制作できるレベルかどうか、という所を見られます。

あくまでも、デッサンのようなトレーニングは、これから「大学」という専門性の高い世界で、作品制作していくにあたってのただの「基礎」。しかし、基礎だけれども表現を支える「土台」になるので、侮ってはいけないコトです。

《私の実体験》

私が芸術系の大学を本格的に目指し始めたのは高校3年の6月下旬ごろです。

その頃から私は真っ直ぐに歩けない人で、「考古学者になりたい」だとか「日本語教師になりたい」「世界を放浪したい」とか、もう紆余曲折でめちゃくちゃ。


でも、「イッテQ」のイモトアヤコさんや「世界ふしぎ発見」のような番組をよく見ていて、「世界」に対する憧れが子どもの頃からずっと強かった。そのこともあって、高校時代の進路希望調査では毎回「外国語大学」「外国語専門学校」と書いていました。

しかし、勉強をやってもやっても満足に成績が上がらず(地理はめっちゃ得意だった)。勉強に疲れた結果、唯一の取り柄である「絵を描くこと」で、大学に行けないかと考えたワケです。

実は、芸術に特化したコースにいたので、基本的なことはできていました。しかし、芸大・美大を目指すとなると、なかなか厳しい状況。

日々くり返すデッサンなどの反復訓練は、修行や筋トレのようでした。


「芸大・美大を目指すぞ!」と決めた日から、「受験日/入試日」までという「タイムリミット」が明確にあったことと、その昨年に父が他界した悲しさへの反動からか、現実逃避の意味でもめちゃくちゃ集中しました。そのため、最初のデッサンと比べた時に、自分でも認めるくらい力がついたなと思いました。


(左|高校3年7月頃)(右|大学1年7月頃)

芸大・美大のメリット2|継続しやすい環境

人間、何かを継続することって難しい。すぐ怠けてしまう。独学だと特にそうです。一人で何かをコツコツ続けるって、相当なパワーが必要なんです(芸術家として開業してひしひしと思ふ…)。

継続できる人は独学でもアリだと思いますが、どうしても継続することが難しい時は「継続しなければいけない環境」に身を置く。これが一つの解決方法になるかもしれません。

継続しやすい環境とは、

・周りの人
・課題
・設備

大きくこの3つがあれば、作品をコンスタントに制作しやすいと思います。


周りの人(同じような志を持った制作仲間・ライバルがいる)

聞いた話、ヒトの脳には「ミラーニューロン」というものがあるらしい。ヒトは無意識のうちに周辺の環境から影響を受けているのだとか。

そのため、同じような志を持った制作仲間が周りにいると、継続しやすいのだと思います。まぁ芸術系は特に、人とつるむのがキライな人がいますが(「人嫌い」ってなんかカッコよく見えるからね)、友達がいなくても、同じように「芸術」を志す人が近くにいるというのは、少なからず影響を受けていると思います。


学校の課題

これは大きいですよ(私にとって)。
学校では(当たり前ですが)課題が出ます。もちろん、それをこなすだけでは足りないものもありますが、それはひとまずおいといて。

課題内容が好きなコトだったらいいのですが、時に好きなテーマじゃないコトもあります。でも、単位のために半強制的に(?)こなさないといけない…。

この「半強制的」な部分も、捉えようによっては継続して作品を作ることに繋がります。もちろん、自分に合わなすぎた場合は、専攻自体を変更するなどということをオススメしますが。

とはいえ、自分が無関心なコトって何かしら機会がないと、なかなか知ろうとしないし、やらないし、考えないことが多いですよね。

「あんまり知らないし、興味ない」それでもいいので、「多角的な面から物事を見る訓練だ」というスタンスで取り組めば十分だと思います。

《私の実体験》

私のいた大学では「油絵具で裸婦を描く」という課題が通年で出されていました。
絵を描くことが好きなので、基本的にどの授業も好きでしたが、なぜか裸婦のような「人」を描くのにはすごく拒否反応が出ていました。

「そもそも<人>描くの苦手だし、<人>に全然興味が持てない」

だから、授業中はいつも教室から逃げ出したい衝動に駆られていました。と同時に、少し落ち込みました。絵を描くことは好きだからこそ、苦手なジャンルがあるとは思わなかったからです。

とはいえ、これ単位を取らないと卒業できないんです(笑)落ち込んでいる場合じゃない。

だから、コラージュしてみたり、線だけで描いてみたり、キャンバスではない素材に描いてみたりと、<人>にどうにかして興味が持てるように・自分が楽しめるように、毎回工夫をしていました(それでもよくサボっていました…すみません)。


ちなみに、こんな感じのを描いていました

大学時代の裸婦の課題

同時に、こんなことも考えていました。

「どうして<人>を描くのが苦手なんだろう」
「逆に、自分が本当にやりたい表現はどういうものなんだろう」

苦手だったからこそ、「<人物画>のようなフィールドでは画家として生き残れないな」と思い、逆に「自分が生き残れる<表現>とは何か?」と考えるきっかけにもなりました。


制作環境

制作環境が整っている・道具や機械などがあることはステキな事です。芸大・美大2つ目のメリット「継続しやすい環境」にも繋がります。

《私の実体験》

私は大学時代、銅版画の制作もしていました。大学には、プレス機や腐蝕室が用意された工房があり、私は毎日その工房に夜遅くまで籠もって制作していました。

銅版画は、特別なプロセスがいくつもあり、特殊な道具を使うことも多く、手軽にはできないものです。そのため、学外で銅版画をやろうとするならば、版画用の工房を構えたり、または工房をレンタルしたりと、何かと大変です。

他にも、図録や資料が豊富にある図書館だったり、広い制作スペースだったり…。学生でなくなった今思うに、とても恵まれた環境だったなぁと思います。


芸大・美大のメリット3|肩書きがある

○○大学卒業、または○○大賞受賞などの受賞歴。

もちろん、「どこの大学を出た」とか「あの有名なホニャララ賞を受賞した」とかそういう肩書きが全てではないし、それだけでその人の全てを語ることはできません。

しかし、世の中の多くは、まずこのような「社会的肩書き」みたいな「モノサシ」で、どんな人かをはかります。

それをうまく使えば、なんか知らないけど勝手にすごいと思ってくれたり、ポストをもらえたりと、何かと世渡り便利なツールになると思います。

画家としての肩書きが何もない状態からスタートするより、「大学名」や「受賞歴」などといった「ネームバリュー」を使わせてもらって、作家活動・キャリアを広げていく、というのも一つの手ではないでしょうか。

まぁ、ただの「肩書き」で威張るのは、見ていてイタいしダサいなァと思います。一番は「自然体」でいることですかね。


ミモリ
ミモリ

次は、デメリットを紹介していきます。

芸大・美大のデメリット1|浮世離れしがち

周りが同じような人たちの集まりだと、そこが自分の世界の全てだと思ってしまって、ちょっっと世間知らずになりがちです。

何かを極めることはいいことだと思いますが、それ以外の世界が見えなくなることがあるので、「井の中の蛙、大海を知らず」状態になります。

絵をずっと描いていれば
作品をずっと作っていれば
いつか誰かが才能を認めてくれる。

と、甘い幻想を抱きがち。確かに可能性0とは言いきれないけど、世の中そんなに甘くない…。

《私の実体験》

実体験というか、今でも覚えているアドバイス。
大学3年生くらいの時に、「大学卒業後は芸術家になろうかと考えています」と、卒論を担当してくれた先生に伝えたところ、

「1000人でいいから、あなたのファンを作りなさい」

とアドバイスをもらいました。
その時までは、大学教授であり画家である先生も浮世離れしているように見えていたのですが(←失礼)

 ・自分をどう売っていくか
 ・ブランディング化していくか
 ・マネジメントしていくか

そのような、現実的な視点も持ち合わせた人だったんだなァと。いや知らんけどね。勝手に私が解釈しただけかもしれない。

とはいえ、これって単純に「絵を描くのが好き!」という気持ち・感情だけではカバーできない部分ですよね。少なからず、世間の事や世の中の流れを意識したり、自分から必要な情報を取りに行ったりと、絵を描くのとは別の労力が必要。

ただ、その「労力」をする原動力は「絵を描くのが好き!」という部分からきていると思います。


芸大・美大のデメリット2|卒業後の進路が不明確

これこそ(油絵・日本画・彫刻のような)ファインアート系あるあるかも。

卒業後どうするか考えている人が少ない。
とはいえですよ、周りを見る限り卒業後の進路は

・大学院進学
・美術教師(講師)
・就職
・作家活動
・その他(放浪の旅に出る、など)

こんなかんじで、けっこう普通だと思います。

《私の実体験》

卒業前に周りを見て思ったことは、自分としっかり向き合って進路を決めた人もいれば、そうじゃない人もいるということ。後者は自分のためにも避けたいですよね…。

「卒業したらとりあえず院に進学するか」という「学生生活延長」によるさらなる「モラトリアム延長」だったり。

[デメリット1|浮世離れしがちな環境]だけど、何かを極めることにはうってつけの環境…なのに、周りの人や社会に流されていたり。これじゃァきっと、院を卒業するときも「周りに流される」などという、同じことを繰り返すだけです。

「親が言うから進学できない、親が言うから就職しなきゃいけない(逆もしかり)」みたいに、自分の人生なのに、自分の人生のコントロール権を自分じゃない「他人(親以外もしかり)」に握らせていたり(いろいろ理由があるかもだけど)。

就職に関しては、デザイン系ならともかく、ファインアート系はなかなか同じ専門分野への就職先が見つからない。公務員やサラリーマンなど、絵とは関係ない仕事を選ぶ人も多いです。また、仕事をしながら絵を描き続ける人もいれば、就職を期に筆をとることがなくなった人も。そう考えると、「なんで、芸大・美大に進学する・したんだ?」と悩んじゃうのも分かります。


芸大・美大のデメリット3|たまに表現の偏りがみられる

これは聞いた話ですが、地方の芸大・美大は、教授の絵に学生が影響を受けやすいそうです。例えば、教授さんが写実的な絵を描いていると、その学生さんもそういう絵を描きがちになるらしい。

思うに、ネットを探せばいろんなスタイルの画家・芸術家がいるけれど、身の回りにそういう先生しかいないと、自然と影響を受けたり、授業スタイルなどがその方向に進んでいくのかもしれないです。

ただ、自分がそういう方向に進みたかったら、その先生はきっといい師匠になると思います。

でも個人的に、地方大学に限らず、学校によって「絵のスタイル」がなんとなくあるような気がしますけどね。


進路を決める時に考えてほしいこと

ここまで私の思う芸大・美大に行くメリット・デメリットを思いつくまま書いてきました。ここで注意してほしいのは、「メリット(長所)とデメリット(短所)は裏表の関係」だということです。


【大学入学前までに基礎的なことを叩き込むことができる】

ということは、いわゆる「受験絵」になるともいえますよね。
「受験絵」というのは、既に周りにあふれているので(上手いなァとは思いますが)正直どれも同じに見えます。そこから抜け出した、その先の表現が見たい。

【継続しやすい環境】

ということは、その環境が当たり前だと勘違いを起こしやすいです。
学校によって設備に差はありますが、個人的に、学校に行けること・学生でいられること自体が恵まれているなぁと思います。


<私の実体験>

きっと、卒業してからがスタートなのかもしれません。
絵を描き続けるにはどうすればいいか。どうやって「絵が描ける」環境を作っていくか。制作の時間をどう確保していけばいいか。などなど。

これからも絵を描こうと思ったら、自分から考えなければいけないことはたくさんありますし、自分からやらなければいけないこともたくさんあります。

【肩書きがある】

ということは、そのネームバリューを通してしか、「自分」や「自分の作品」を見てくれないこともあるかもしれません。

【浮世離れしがち】

ということは、「一つの物事を深く掘り下げて考えることができる時間」があるということです。

「井の中の蛙、大海を知らず。されど空の青きを知る(井戸の深きを知る)」とも言いますし。


<私の実体験>

働いて思うのは、精神的にも切羽詰まった状態だと、深く考えることができないなぁということです。芸術は精神的な「余裕」がないとできない。でもその「余裕」なんてないから、明日のことしか考えられません。でも、そうなると自分の絵も何だか薄っぺらく見えてきます。いかんいかん。忙しくても、絵を描き続けるなら自分で「余裕」を生み出すことも必要なようです。

【卒業後の進路が不明確、学校が教えてくれない】

ということは、自分だけのオリジナルの道を作ることができるということ。そう考えると、なかなか面白そうだと思わない?


<私の実体験>

卒業後のロールモデルがいないので、「どうやったら絵を描き続けられるのだろう!?」と必死になって、最近は苦手(だった)パソコンを覚え、こうやってブログなんか書いてみたり、正直最初はノリ気じゃなかったTwitterやInstagramなんかも絵を投稿してみたり、色んなアプローチの仕方に挑戦しています。

自分で道を開拓するのは正直大変ですが、同時に楽しいとも思っています。

【表現の偏りが見られる】

と言うか芸術家って、ある表現にスゴイ偏っているもんなんじゃないかと思います(草間弥生さんの水玉模様とか)。いっちゃえば、オタクのようなもんだと。


結局のところ、その人次第だと思う

芸大・美大に進学する・したことが、

「僕は周りとはちょっと変わった選択をとっている・とったんだ♪」

と、思いがちになる人は多いです(私もそう)。

でも、自分の考え・熱意・目標、つまり中身のある「自分」がいないと、いわゆる日本の「高校→大学→就職」というレールを歩む構造と、なんら変わらない。

また、芸大・美大に進学した・卒業したからといって、誰かが

「絵を上達させてくれる」
「作品を作ったら、買ってくれる人がいて、生活できるようにしてくれる」

わけでもありません。

「とりあえず進学・就職してやりたいことを見つける」というのも、私としては決して悪くはないと思います。でもいずれにせよ、周りの人や社会に流されて、自分を見失うことがないようにする必要があると思います。

では、自分を見失わないようにするためにどうすればいいのかというと、自分がどういう人間なのかを客観的に・徹底的に知ることです。

あとついでに、私のように真面目で愚直な人は「自分は完璧な人間ではないし、できないことの方が多いのだ」と認めて、「自分への信頼」や「信念」「情熱」みたいなものは残したまま「しょうもないプライド」なんか捨てることです。

フワッとした言い方になってしまいましたが、意識するだけでもけっこういいですよ。自分の方向性が変わるかもしれないし、分かってくるかもしれない。

<私の実体験>

最後に。芸術・美術は何歳になってからでも始められます。私のいた大学では、仕事を退職した後に大学院に進学したおじいちゃんもいました。

私は、絵には「その絵描きの人生」が映し出されると考えています。技術も大事だけど、技術だけが一人歩きした絵より、いろんなことを経験して「自分なりの哲学」を持っている人やその絵の方が、より魅力的だと感じるよ。


今回は芸大・美大に進学して卒業した視点からいろいろ思ったことを書いてみました。

ミモリ
ミモリ

迷っている人の(さらに迷わせてしまったかもしれないが)一参考になれば、と思います!

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