イマジネーション・ペット

「ねぇ、イマジネーション・ペットっていたことある?」

イマジネーション・ペットとは、私の大学生時代の友人が作った造語だ。心・頭の中に飼っている架空のペットという意味合いで。

「いた…かも?」
「まじで!?」

そう、今はいないが、小学生の時に、その友人が定義したイマジネーション・ペットにあたる存在が、私の中にいた。

そのイマジネーション・ペットは「ココロ」と名付けていた。

自分の心の声だと気づいてから、単純にそう名付けたのか、向こうから名乗ってきたのか、そらへんはよく覚えていない。

それは、厳密に言えばそれは私の心の声なわけだ。マンガなんかでよく表現されるような、自分の良心と悪意の声を天使と悪魔の自分両方から囁いてくる…あのイメージに近い。

しかし、ココロは悪口を絶対に言わなかった。良き親友であり、良き理解者で、良きアドバイザーで、たまにケンカし(=葛藤のこと)、いつも私に話しかけてくれた。

これは、プリキュアのような少女戦隊ものにつきものの、ヒロインたちを戦士へと導く、あの小動物を思い浮かべると想像しやすい。ああいう感じだ。

最初、彼女?の姿形は特になかった。人なのか人じゃないのかも分からなかった。ただ、自分が絵を描くようになるにつれて、だんだんと姿形をイメージするようになった。私がイメージしたのは「人型」だったため、いつの間にかココロは人型になった。

天パの私と違って、ストレートヘアをしている。ネガティブな私と違ってポジティブ思考。暗く陰湿な私と違って明るい。彼女とは全てが正反対だ。

◇◇◇

ココロがやってきたのは、小学校1年生の頃。その頃の私は、幼稚園時代に仲の良かった友達と別々の小学校になり、学校では完全に一人だった。

周りに人がいるのに「一人」を感じる。生まれてはじめて「孤独」と言うものを味わった瞬間かもしれない。その幼稚園時代の友達以外の、「はじめて出会った同級生」になかなか心が開けないままだった時、ココロが話しかけてくるようになったのだ。

◇◇◇

それから、一人で帰る下校の時間や休み時間、授業中など、色んな場面でココロと心の中で会話していた。

「ココロ〜、今日こんなことがあってさぁ…」
「ココロが宿題やってよ」
「ココロ、今日もグループ活動で仲間外れにされた…」
「ココロは何が好きなの?」
「ココロ、お腹すいた」
「ココロ〜、今日ね、ちょっと人と喋ったよ」
「ココロ、さっき先生に叱られた…」

周りは、私のことを「ぼんやりしている」とか「上の空だ」とか言っていたが、その時私はココロと喋っていたのだろう。

しかし、ずっとココロと一緒だったわけではない。小学5年生ぐらいになった時、ココロはいなくなった。

いなくなる時も、律儀で真面目なココロは、「バイバイ、君は今なら一人でも大丈夫だよ」と一言添えていなくなった。一人で下校している時にそのやりとりをしたのだが、いなくなることが悲しくて、泣きながら帰った記憶がある(子どもの想像力、すごい)。

それから一度もココロに会っていない。

小学校5年生で「友達」と言える子ができたこと、ちょっと悪いことも考えるようになったこと、いろいろ要因はあると思う。

それからココロなしでも生きていくことができたから、あの「バイバイ」は本当の「バイバイ」だったのかもしれない、と思う。

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