二風谷での会話|加害者意識を教えない教育

「二風谷での会話」連載?前回の投稿から時間が空いてしまった…。今更ながら、記録します。

今年の9月、私は北海道へ旅に行きました。その時に訪れた二風谷で出会ったアイヌにルーツを持つKさんとお話したこと、そこで私が思ったこと。

Kさんは、アイヌというマイノリティで生きているからこそ、博物館の展示や私のようなマジョリティに属する人々に対して色々と思うことがあるみたいでした。

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“加害者意識”を教えない教育

「日本の教育はね、“加害者意識”を教えようとしないんだよ」

そう、淡々と言葉を吐くKさん。その言葉の裏には、Kさんが過去にいじめられたことが背景にあります。

Kさんは比較的アイヌにルーツのある方が多い場所で育ちましたが、高校進学を機に、私のようないわゆる「倭人」が多いところへ。そこでは、「アイヌ」ということで、人と違う外見を笑われたり、心ない発言をされたのです。

そして、私はどう返事を返したらいいか分かりませんでした。なぜかって、私は過去に「いじめの傍観者」だったからです。

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小学校、中学校時代の私は、私と仲のいい子がいじめにあっている時、周りの目の方を極端に怖がって、その子から離れるような態度をとりました。

その時、そのいじめられていた子に一番必要だったのは、「私がいるよ」という言葉と、「その言葉に偽りのない行動・態度」です。

私は、その子に「友達だよ」と言いながら、その子から逃げるような行動をしました。最低ですよね。あんときの自分、ぶん殴りたいわ。

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高校へ進学と同時に、その子と私は閉鎖的な地元を脱出。市内の高校は、いろんな地域から生徒が進学していて、「私とその子」のことを知らない人達が多い環境でした。これを機に、今までの周りの目が気にならなくなった私は、その子と心置きなく楽しく会話をするようになります。

こんなにも、コロコロと態度を変える私を見て、その子はどう思ったことでしょうか。私も「なんで、ひどいことをした私と一緒にいてくれるんだろう」と疑問でした。

きっと、その子にも怒りや不甲斐なさがあったでしょう。でも、直接言われたわけではありませんが、私の今までの愚かな態度を、その子は時間をかけて許してくれた。

そして、有難いことに、その子とは今でも付き合いのある、私の数少ない大切な親友です。

でも、その許してくれるまでの時間も含めて、その子のいろんなモノを、私はきっと奪ってきた。その子と会う時や、それ以外での人付き合いの場面で、フッとその時のことを思い出します。

これは、過去の私が犯した「罪」だとずっと思ってきました。これからもいろんな場面で無意識にでも思い出すでしょう。

その「罪」は、昔の罪人が刻まれていた刺青のように消えないと思いますし、消してはならないと思っています。これって大変で苦しいけど、自分への戒めとしてね。

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