水彩画の歴史

ART

今日、私たちが「透明水彩絵の具」や「不透明水彩絵の具」と呼ぶ「水彩絵の具」は、18世紀から19世紀初頭のヨーロッパで完成したものです。しかし、[水性の絵の具]となると、旧石器時代ヨーロッパの壁画に描かれた絵まで遡ることができます。

[水性の絵の具]の歴史

[水性の絵の具]は、建築物の壁面を描くときに使用された「フレスコ技法」や、写本の彩色などで用いられてきました。

【フレスコ技法】

「顔料」を「石灰水」で溶いたものを未乾燥(=Fresco, フレスコ, 新鮮)状態の漆喰に描画する。漆喰は消石灰(水酸化カルシウム)が主原料。その漆喰が乾燥・硬化する時に、化学反応でできる「炭酸カルシウム」を、「顔料」をくっつける「バインダー(=展色剤、接着剤、糊)」として描画することができる。

絵の具|「顔料」とは?

ところで、水彩画に描く支持体といえば「紙」ですよね。

当時は製紙技術がまだまだ未発達だったため、「パーチメント(Parchment, 羊皮紙, 羊や山羊の皮革)」や「ヴェラム(Vellum, 仔牛など幼獣の皮)」などが使用されていました。しかし、これらの支持体では、紙に描いた時の「にじみ」や「ぼかし」などの表現や効果を生み出すことは難しかったようです。


記録や図解のツールとしての水彩画

Albrecht Dürer《A Young Hare》(1502 )
255×226 mm|Gouache, watercolor on paper|Albertina Collection
出典:WIKIMEDIA COMMONS|A Young Hare

ルネサンス期(14世紀頃〜)になると、ドイツのアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471-1528)が登場します。デューラーといえば精密な銅版画作品を思い起こす人も多いかと思いますが、水彩による優れた風景画も多数制作しているのです。デューラーの風景画は、「ヨーロッパで最初の風景画」とも言われるほど。

とはいえ、バロック時代(16世紀〜17世紀初頭)になっても水彩画は、スケッチや模写・デザイン画のツールとして使用することがまだまだ一般的だったようです。

一方、水彩画は作品としてというよりも、「植物画」や「生物画」などといった記録や図解のためのツールとして、古くから使用されてきた歴史があります。

その流れは今でも受け継がれており、ちょっと昔の理科の教科書・フィールドガイド・科学・博物的な出版物をパラパラめくってみると、水彩で描かれたイラストレーションや図解があることに気づくと思います。


水彩画の成熟

J.M.William Turner《Der Vierwaldstätter See》(1802)
305×464 mm| watercolor|Tate Britain Collection
出典:WIKIMEDIA COMMONS|Der Vierwaldstätter See

18世紀になると、イギリスでは「水彩画」が上流貴族の子女、特に女性の教養の一つとして成立。さらに、水彩画は地形を記録したり、建築物を建てる時の設計図や計画書としてのイラストを作成するときに便利なツールとしてよく用いられていました。

また、この頃からヨーロッパ諸国によるアジア・アフリカなどの未開の地を探検・植民地化する動きが起こります。そのときの発見などを記録するために、水彩画家を探検隊に同行させました。

19世紀中頃にはチューブ入り絵の具が誕生します。これをきっかけに、多くの芸術家が外で制作をするようになりました。印象派が出てきたのもこの頃です。当初、チューブ入りの絵の具が開発されたのは油絵の具だけでしたが、すぐに水彩絵の具にも応用されました。

また、旅行ブームの到来により、「グランドツアー」で西洋美術の中心である憧れのイタリアへ出かけたり、未開の地を求めて探検に同行する、冒険家のような画家も登場したりします。

イギリス青年貴族たちの修学旅行「グランドツアー 」

これらの背景から、風景画の需要が高まり始めました。

廃墟となった教会・古城・渓谷や、いわゆる英国の「古き良き田舎の風景」が記録された旅行記がベストセラーになったり、風景を描いた絵やそれをまとめた風景画集が旅行者の土産物になったり、急速に水彩画の地位が高まった時期でした。

【水彩画を絵画として確立させた主な人物】

[ポール・サンドビー]
(Paul Sandby, 1731-1809)
「イギリス水彩画の父」「現代水彩画の父」などと呼ばれる。
イギリスの風景画家。元は英国の地図製作者。
イギリスとアイルランドを巡る大規模な旅の中で、風景や古代のモニュメントをスケッチする

[J・M・ウィリアム・ターナー]
(Joseph Mallord William Turner, 1775-1851)
イギリスのロマン主義の画家。大気、光、雲の劇的な表現が魅力的。
油彩画の制作のかたわら、ヨーロッパ各地を旅行し、多数の風景スケッチを制作した。

[トマス・ガーティン]
(Thomas Girtin, 1775-1802)
ターナーの友人でありライバルの水彩画家。
イングランド北部や北ウェールズなどに訪問するツアーに参加し、風景スケッチを制作した。


日本への水彩画の伝来

日本に西洋の水彩画が伝わった幕末から明治初期頃で、実際に水彩絵の具が日本に輸入されたのは明治時代(1887年|明治20年)頃のこと。水彩画は「みづゑ(水絵)」と呼ばれていました。また、当時は「ケーキ」と呼ばれる、絵の具を固めて乾燥させた[固形タイプの水彩絵の具]が主流でした。

その2年後、国内でも水彩絵の具が製造されるようになります。製造されたこの当時の絵の具は、お皿に入っていました。日本画を描くときに顔料と膠を「絵皿」で溶いて使うのですが、この形からの改良のようです。

1893(明治26)年には、この[皿入りの絵の具]を文部省が図画教育の描画材として使うことを決定しました。

1897(明治30)年、チューブ入りの絵の具が輸入され始め、明治30年代後半にはその利便性から水彩画ブームが起こります。日本国内でも、1909(明治42)年頃からチューブ入りの水彩絵の具の製造が始まりました。

そしてさらに改良を重ねた結果、子どもでも扱いやすい児童用の「半透明水彩絵の具」が1950(昭和25)年に開発されました。これ以降、学校教材で使われている水彩絵の具といえば、この「半透明水彩絵の具」がほとんどです。
参考:JCCMA|「水彩絵の具の歴史」文責:清水靖子(サクラアートミュージアム主任学芸員)

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