お正月に欠かせない鏡餅。
毎年、佐賀の実家では年の暮れに餅をついて鏡餅を作る。朝から準備に追われるが、餡子につきたてのお餅をくるんで、つまみ食いをしながらの作業はなかなか楽しい。
さて、鏡餅に関する話で、実家を出るまであまり気づかなかったことがある。台所に飾る鏡餅が、一般的な鏡餅と少し形が違うのだ。
上は一般的な丸く平べったい鏡餅だが、下の部分がカタカナの「コ」(英語のU?)の字をしている。
地元の友達…といっても4人しか聞いていないが、4人中3人はこのような形の鏡餅を台所に置くとのことだった。
私の家では、このような鏡餅のことを「くどの神さん」と呼んでおり、また友達の家では「供え餅」と呼んだり、また特に名前は知らないという家もあった。
祖父に尋ねたところ、「くど」とは「かまど」のことだという。
そして、鏡餅の下の部分の「コ」の字は「かまど・くど」を表しているそうだ。また、火の神様のことを「くどの神さん」とも言っていた。
そこで、まずは「くど」という言葉がどこからきたのか調べてみた。すると、かまどのことを「くど」と同じように呼んでいる所があった。京都である。関西では、かまどのことを「へっつい」と呼ぶらしいが、京都では「くど」や「おくどさん」などと呼ぶそうだ。
もしかしたら、その昔、京の都から肥前国(佐賀)に「くど」という言葉が伝わったのかもしれない。
ところで、佐賀弁で「とぜんなか」という表現があるのだが、これは「やることがなくて手持ち無沙汰な状態」を意味する方言である。
ここで「ん?」と思った方もいるかもしれない。
中学校の古典の時間で習った方も多いであろう『徒然草』の「徒然なる」と「とぜんなか」は同じ意味である。実は、都から「徒然」という言葉が伝わった時、この漢字を「とぜん」と読んでしまい、そのまま佐賀の方言として定着したのだとか。
これは私が中学生の時に国語の授業で先生から聞いた話なので、信憑性はないかもしれないが、「遠い場所から言葉が伝わってきて、そして今も使われている」という不思議にワクワクしながら聞いた記憶がある。
「くど」の起源
「くど」の言葉の起源は「火処(ほど)」にあり、これが徐々になまっていって「くど」になったのではないか、という説がある。
火処はまた、女性性器を現す古い日本語でもある。実は、「かまど」と「女性」の結びつきは、世界各地の文化でも見られる。
かまどは[そのままだと食べられないモノ]を火の力を借りて[食べられるモノ]に変える。つまり、かまどは恵みを生み出すことができる。また、かまどを使うのは女性が多かったことや、かまどの丸みのある形、中が空洞で暗闇になっている、などといった見た目から、母胎や子宮をイメージしたのだろう。
ところで、かまどは「この世」と「あの世(異界)」を繋げる、という風習が日本各地で多く残されている。
大飢饉の時、口減らしのために子供をころすことがあったのだが、その時に命を落とした子供の死体は、かまどの後ろに埋めたりした。
古くは「子供は七歳までは人ではない(諸説あり)」と考えられており、また生命は「あの世」から「この世」にやってくるものだとされていたため、「あの世に返す(=子返し)」という認識で行われていた。かまどに死体を埋めることで、「子返し」した子供がかまどを通ってあの世に帰れる、と考えられていたのかもしれない。
「くど造り」「くど屋根」
出典:『佐賀県立博物館・美術館報 第120号』(1998)佐賀県立博物館・佐賀県立美術館, 7頁
「くど」関連でもう一つ。
佐賀県有明海沿岸部には「くど造り」「くど屋根」という伝統的な民家がある。
この民家の特徴は、上から見るとやっぱりコの字をしていることである。これもやはり、くどやかまどの形に由来するものだ。
なぜ、コの字をした民家があるのか。
その背景として、
・防風対策
・柔らかい地盤への対策
・幕府や藩による「梁間|はりま」の制限「家作禁令」
・すでにあった家が展開(家をつなげて増築した、など)
この4つの説が考えられているが、はっきりとした成立要因はよく分かっていない。
参考:『佐賀県立博物館・美術館報 第120号』(1998)佐賀県立博物館・佐賀県立美術館
かまどの神様
【かまど神】
「かまど神|かまどがみ」は竈・囲炉裏・台所などの火を使う場所に祀られる神である。
・火や火伏せの神
・稲作の神
・家族、家畜の守護神
・繁盛、清明の神
などといった生活全般を網羅している神さま。
【土公神】
「土公神|どくしん・どこうしん」とは、陰陽道における神の一人。中国・四国地方で信仰されている。春はかまど、夏は門、秋は井戸、冬は庭へと、季節によって家の中を移動する言われている。
【荒神】
「荒神|こうじん」は、台所の神として祀られる。民間信仰や土地の神と仏教が結びついた神で、かまどとも深い関わりがある。荒神は不動明王や鬼子母神などと同じく、仏の守護者という位置づけにある。
また、火伏せの神としての性格を持つので、かまどの神様としても信仰される。荒神信仰は主に西日本で盛んらしい。家の台所には、昔からお札の荒神様が祀られている。
また、京都ではかまどのことを「おくどさん」と呼び、その「おくどさん」と「荒神」のイメージが重なっているように、佐賀でも「くどの神さん」と「荒神」のイメージは同じように重なっているように思われる。
今回は、主に「くど」と「かまど神」について調べてみた。
くどの形を鏡餅に模した「くどの神さん」「供え餅」はいつから始まったのか、地元以外の地域でもあるのか、その分布は?などなど、まだ疑問や分からないことだらけで「情報求ム…」という感じである。引き続き調べていこうと思う。
〈参考〉
・狩野敏次『かまど ものと人間の文化史』(2004)法政大学出版局
・城島正祥 杉谷昭 著『佐賀県の歴史 県史シリーズ41』(1972)山川出版社
・『佐賀県立博物館・美術館報 第120号』(1998)佐賀県立博物館・佐賀県立美術館