佐賀|有明海沿岸の「御髪信仰」と「おんがんさん」

INTEREST
2020年元旦撮影|おんがんさん

佐賀県から福岡県にかけて有明海沿岸に面する地域には、「おんがんさん」という石祠がある。

私は佐賀県出身で、有明海沿岸の地域に住んでいた。ここでは、川や有明海沿いを散策するとこの石祠を見かけることがよくある。ちなみに、実家から一番近い「おんがんさん」は、約200メートル道を進んだ先に静かにたたずんでいる。

上の写真の「おんがんさん」は、もともと実家の敷地内にあったらしいのだが、道路工事かなにかの影響で移動した。そういうこともあって、この「おんがんさん」に関しては私の実家が管理しているようなものである。

家でついた鏡餅とおとそを元旦の朝にお供えに行くのが恒例行事で、「おんがんさん」の存在は幼い頃から自分にとっては馴染み深いものになっており、学生の時には銅版画で作品にしたほどである。

とはいえ、馴染み深いものではあるのだが、実は詳細は分からないままだった。祖父母曰く、川や海の沿岸に立っていることが多いことから、水害を防ぐ守神だと教えられてきた。そう聞くと、まぁ確かに、と納得できる。が、まだまだ気になる所である。

というわけで、今回は「おんがんさん」とは一体何なのかについて調べてみた。

土着的な、いわゆる地元で信仰されているものによくありがちなことではあるが、「おんがんさん」も「諸説ありすぎる系」だ。はっきりとした起源があるようでない。どこから伝わったのか、どう伝わったのか。後の変化の仕方も、また様々だ。


沖ノ島

日本には、いくつか「沖ノ島」と名がついた島がある。もちろん、ここでは有明海にある「沖ノ島」のことである。


干潮時の沖ノ島の遠景。大魚神社海中鳥居(太良町多良)付近から撮影

「沖ノ島」は佐賀県太良たら町・有明海(竹崎沖合)にあり、「男島」「女島」の2つの島からなる。有明海唯一の島である。…島と言うより、岩礁と言うべきだろうか。「沖ノ島」はまた、水産庁が選出した「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」(2006年)の一つに選ばれている。

ちなみに、「沖ノ島」は女人禁制の島だ。2020年現在はどうなのか分からないが、色々と信仰が絡んだ場所であると言える。

また、有明海は月の引力によって引き起こされる干潮・満潮の差が大きいことで有名である。


海中鳥居の満潮時・干潮時

出典:太良町観光情報ー太良町 月の引力が見える町|月の引力が見える町って?

有明海に面した太良町では、「月の引力が見える町」として紹介されることが多い。

そのような自然現象もあって、満潮時にはこの小さな岩礁でできた「沖ノ島」は海に沈み、干潮時にしか出現しない。


沖ノ島伝説1| 御髪信仰

「沖ノ島」は別名「御髪島」と呼ばれている。
御髪おんがみ」の由来については以下のような伝説がある。

その昔、島には神がいた。
自分の髪を剃って海に投げ込んだところ、髪は流れずにそのまま島になった。

その島こそが「沖ノ島(御髪島)」のことであると言われている。

また、このような説もある。

仏法の教えを説いてまわる行基という人物が鹿島の地に行脚した。行基は「弥陀」「釈迦」「観音」の三像を彫り、それらを多良(たら)岳に納めた。そのあと、左側の方(山側)に投げてできたのが黒髪(くろかみ)山、そして右側の方(海側)に向かって投げたのが御髪大明神の島である。

「御髪大明神の島」とは、「沖ノ島」のことだ。


古来、「沖ノ島」は有明海を行き来する船の目印だった。
「沖ノ島」に灯台が建てられた現在でも、海上交通の要となっている。

そのようなことから、古くから「沖ノ島」自体を守護神とし、海上安全・大漁などを祈願する「御髪信仰」なるものが存在する。この「御髪信仰」は、有明海沿岸一帯に広がっている。

この一帯ではまた、「御髪社」「御髪大明神石祠」「御髪大明神記念碑」が見られる。


久富の御髪社

出典:佐賀市地域文化財データベースサイト|さがの歴史・文化お宝帳|久富の御髪社


大野島・大詫間の「おんがんさん」

大野島おおのしま」「大詫間おおだくま」という地域は、福岡県大川市と佐賀県佐賀市にまたがった三角州の島。南北で地名が異なっているのが特徴だ。

・島の北半分(福岡県側)→「大野島」
・島の南半分(佐賀県側)→「大詫間」

筑後川の下流にあるこの島の地形を見るに、水害が多い地域だろうと推測できる。


大野島・大詫間の地図。波線が県境。

出典:Wikimedia|大野島・大詫間の地図

そして、この地域では「おんがんさん」とよばれる「神屋敷」が見られるのだ。


オンガンサン(大詫間)

出典:『川副町誌』(昭和54年2月28日発行)|二 民間信仰|(一)生活と信仰|2 御髪信仰 786頁

「神屋敷(屋敷神)」とは、屋敷(家)や土地を守る「土地神」のこと。家の裏、家の敷地内やそれに属した土地、少し離れた山林などに祀られることが多い。

長年、高潮に悩まされた大野島・大詫間の島民が堤防を築いた際、「沖ノ島大明神」を勧請かんじょう(=神仏の分身・分霊を他の地に移して祀ること)し、守神としたことが始まりだと言われている(寛政5年)。


沖ノ島伝説2|おしまさん

2つ目の説は「おしまさん(お島さん)」と言う女性にまつわるものだ。

江戸時代。旱魃に悩む村があった。村を救うべく、村娘の「おしま」が有明海に身を投げ、雨乞いの願をかけた。その遺体はまもなくして、沖ノ島に流れ着いた。それを見た天からの慈悲か、雨が降り出した。村は救われ、豊作の年となった。その後、村娘の「おしま」を島に祀り、雨乞いの神として信仰した。

旧暦6月19日(新暦だと8月頃)には、有明海沿岸地域では、漁船で「沖ノ島」へと詣る「沖ノ島参り(または「おしまさんまいり」)」が行われる。漁船の上からは太鼓浮立(かね浮立)の演奏が、「沖ノ島」にある「おしまさん」の石像へは「お神酒:おみさん」や食べ物などが奉納される。


沖ノ島とおしまさん

出典:公益社団法人全国漁場漁港協会|沖ノ島とおしまさん 佐賀県・鹿島市


沖ノ島伝説3|大魚神社

2018年1月撮影|大魚神社

佐賀県太良町の「大魚おおうお神社」には以下のような伝説がある。

その昔、悪代官に手を焼いた村人たちは、沖ノ島へ悪代官を招いて酒宴を執り行った。そして、酔っ払わせた悪代官をそのまま沖ノ島に置き去りにして帰ってしまった。

酔いがさめ、狼狽する悪代官。
竜神へ助けを求めたところ、大魚(ナミノウオ)が現れた。
悪代官はその大魚の背中に乗って、村へ生還した。

この出来事に胸を打たれた悪代官は、その魚の名から「大魚神社」を建立。有明海に浮かぶ「沖ノ島」へと結ぶように、海中にも鳥居を建てた。

大魚神社の海中にある鳥居は、30年ごとに建立する慣わしだ。

2018年1月撮影大魚神社|鳥居が有明海へと続いている
2018年1月撮影|大魚神社|鳥居の奥にはお賽銭箱代わりの石のようなものが

あまり知られてなかった神社だが、近年は「インスタ映え」するとして、多くの観光客が訪れるようになったようだ。

有明海が満潮の時に訪れると、海中に立つ赤い鳥居がなかなか神秘的である(満潮の時に行ったことない…)。

ところで、「大魚:ナミノウオ」とは、スナメリ(小型のイルカ)のことだろうと思われる。

スナメリ

「スナメリ」は、日本各地によって様々な呼び名がある。有明海あたりでは「ナミノウ」「ナミウオ」「ボウズウオ」などと呼ばれている。


まとめ

謎の石祠「おんがんさん」は、有明海の「沖ノ島」を中心に、「御髪信仰」と「おしまさん」の2つの信仰がポイントとなっていることが分かった。

【沖ノ島】
 └ 御髪信仰
 └ おしまさん

ただ、「御髪神(沖神様)」がどのような神なのか、明確にはなっていない。

『肥前古跡縁起』では以下のように記述されている。

沖の御神は、天照太神宮の御弟素戔嗚尊なり。
水神にて御坐ける。

『肥前古跡縁起』

また、佐賀県の七浦地区では、ナマズが「御髪神」の神使であると言われている。そのため、七浦地区ではナマズを食べることを禁忌としている風習がある。

同じく、ナマズを神使として古事記・日本書紀などに登場する「豊玉とよたま姫神」や「弁才天べんざいてん」、または「宗方三女神むなかたさんじょしん」「月読命つくよみのみこと」と「御髪神」を同一視している説もあるようだ。

そして、「御髪信仰」は漁村だけでなく、農村(有明海沿岸部に面していない)地域にも広がっている。

これらのことから、「御髪信仰」は、単なる海上安全の信仰神としての「海神」だけでなく、雨乞いや豊作を司る「水神」「稲作神」としての信仰も兼ね備えた、複雑な信仰の形になっているようだ。

また、「おんがんさん」という呼び名は、ここら地域特有の「訛り」の影響もあると考えられる。「おんがみさん」「おきがみさん」がさらに訛って「おんがんさん」となったのではないか、と祖父は語る。

いずれにしても、まずは有明海の「沖ノ島」の存在が大きい。海と陸から、大きく2つの信仰が見られる。ただの岩礁とも言える自然地形が、このような形で独特な信仰を生み出し、広げていったことはとても興味深い。

【御髪信仰】
 └ 海の問題|遭難 など
   → 海上安全
 └ 陸の問題|旱魃・水害 など
   → 雨乞い・豊作・防災