風景を写真で記録する

つい最近、自分の作品をストックしているInstagramアカウントとは別に、もう一つアカウント(非公開)を作りました。このアカウントには、2016年頃〜現在(2020年)に至るまでに撮りためた地元の風景写真を投稿しています。

また、このブログには佐賀の郷土史などをたま〜に投稿しているのですが、絵を描いている私がなぜこのようなことをしているのか、その経緯や私的な願望についてココに書き綴ってみました。

自己満足だし、自分語りしているので、まァ無理して読むことはせずにね、物好きな人が読み進めていただければと思います。

◇◇◇

最初のきっかけ

このアカウントを作ろうと思った最初のきっかけは、単純に「故郷の風景を保存したい」と思ったことです。

私は、生まれてから18年間を佐賀の田舎で生きてきました。色んなことを感じながら過ごしてきたので、少なくともこの場所に対して愛着と執着があります。

「故郷の風景を保存したい」と言っても、田舎ほど変化のない風景はないのでは?と思う人もいるかもしれない。しかし、個人的な感覚ですが、ここ10年でも田舎の風景の変化は凄まじいのです。

水田は団地へ、荒れた畑や山はソーラーパネルの設置場所へ、畦道はコンクリートへ。チェーン店を展開させてみるも、よそ者が昔馴染みの店を土足で踏み荒らしていっただけで、商店街は生気を抜かれている。

こんな、目先の利益しか考えていないような土地開発に正直嫌気も差してきています。まるで、死にゆく町の途中経過の景色を見せられている気分。

面白みのない均一化された風景。この漂白された風景は、これからもどんどん拡大していくのだろうと思います。ただ、日本各地の地方どこでも同じような現象が起きていて、この「変化のスピード」は、これからもますます速くなっていくはず。

とはいえ、無力な自分はこの現状に憂えることしかできず、変わっていく景色を見つめることしかできない。

世の中の生活レベルや価値観に合わせて、周りの環境の方を先に変えていくのは、衣食住の「住」の部分における人の欲求なのかなァ。

だから、目の前に広がる風景はきっと今だけしか見ることができない風景だと思うと、自然と「記録したい」という感情が芽生えました。

灯台下暗し

とはいえ、ここに住んでいた10代の頃の自分は、「何もない」故郷がいやでいやで仕方がなかった。この場所で「自分」が完結してしまうことが耐えられませんでした。

ここ以外を知らずに、この閉じた場所で「自分」は完結してしまうのだろうかという虚しさ。しかし、虚しさを感じているにもかかわらず、牧歌的でのどかな風景がそれを覆い隠しているように感じていました。その空気を振り払うため、ほとんど逃げるように地元から出てきたように思います。

その当時、自分の出身地のことを口にすると、不満や自虐ばかりでした。その不満や自虐は、自分に向けられるものでもあり、結局は「自分に対しての自信のなさ」を露呈していたにすぎませんでした。故郷は良くも悪くも、自分を作った一部であるとなかなか認められなかった時期なんだと思います。

地元を出たのは大学進学がきっかけですが、関東圏の大学に進学しようと思ったのも「絵を描きたい」というより「故郷以外の場所を、世界を、もっと知りたい」という思いの方が、正直強かったです。

無事に大学進学した私は、「もう二度と故郷へ戻ることはないかもしれない」と、腹をくくる思いでした(それだけ、九州の片田舎から都会へ出ることは、大変なことだった)。

毎年帰省はしていましたが、あまり長く滞在することはなく、もしかしたらそのうち帰らなくなるのだろうか、忘れていくのだろうか、と当時はそんなことを考えていた。

しかし、一人暮らしを続ける中で、その考えは徐々に変化しました。

絵を描く途中で、絵のバランスを見るために距離をとり、絵の全体を観察することがあります。それと同じように、遠く離れた場所から故郷のことについて考えることが多くなったのだ。

身近にありすぎて気づかなかった部分や、自分で無意識のうちに隠していた郷土への好奇心。これはホームシックとは違った感情で、故郷が愛おしく思えた不思議な瞬間でした。

しかし、故郷に関心を抱くようになったのは、故郷以外の場所へ行くことができたからこそ湧き出てきたものだということを忘れてはいけない。

もし、高校卒業後の進路が地元の大学や職場などだったら、また違った感情を抱いていたと思います。

外の世界に憧れを抱いている時に、今まさにこの青春時代を使って外の世界を見聞・体験している同期らが、帰省の度に語り出す外の世界の話に、苛立ち嫉妬する。きっと、そんな人間になっているだろうと思います。

だから、あえて「この場所には素晴らしいものがあるのですヨ」なんて啓蒙するようなことは、あまりしたくない。そんなことをすると、外の世界を猛烈に知りたくて、もがいていた過去の自分に申し訳ないというか、過去の自分が後ろで睨んでいるような気がするというか。

(でも郷土史的なことはやりたいので、ひっそりとやろうと思います)

話を戻すと、「答えはすぐそばにある」とはよく聞く言葉ですが、まさにそうなのかもしれない。「本当のかっこいい自分」は外の世界に行けば会えるはずだと、外へ外へと躍起になっていて、「内側」のことをよくも知ろうとしなかった。

これは、「この場所」以外の場所を知るからこそ、気づかせてくれたとことだと思う。

紆余曲折を経て、風景を切り取るこの作業は、いつの間にか自分にとっての内なる旅も兼ねていました。そんな、自己満足の旅なのです。

◇◇◇

風景を切り取る、見つける

帰省する度に実家の周りを散策していて、気づけば毎日10キロ以上歩いていることもあります。

18年暮らした場所と言っても、当時は家と学校の往復だけだったから、意外と知らない道もたくさんあるのです。そこで見つけた小さな神社や知らなかった風景を見つけることが、楽しみの一つ。

10年以上も住んでいたのに、全然知らなかった故郷の魅力。しかも、それがまだあちこちに埋まっている。きっと、昔の自分だったら「こんなもの撮って何がいいの?」と思うものばかりです。

確かに、以前はインスタグラムなどを覗いては、風光明媚な場所やオシャンなカフェに「いいな〜」と思っていたし、そういう場所に行くことに「価値」を感じていました。しかし、そういったモノが巷に溢れ過ぎているせいか、私の感性はそれにすぐ飽きました。

目の前の風景に十分なストーリーがあること。着飾らず、何も主張することなく、寡黙にたたずむ「何もない」故郷のふとした一面の方が、見ていて面白いと思うのです。

◇◇◇

ひっそり、のんびり

先ほど言ったように、あえて啓蒙するようなことはしたくないのでひっそり運営するのですが、それとは別に、地元が観光地化したり、知られすぎたりすることにもかなり抵抗があります。

投稿している写真はどうってことない風景ですが、ネット上に公開しているわけだから、こんな片田舎の風景であっても、もしかすると「バズる」(インスタでこの言葉使うっけ?)ことなきにしもあらずなわけで。

地元の友人と「佐賀は人が少ないからこその良さがあるよね」とよく話していて、

「知ってほしいけど、あまり多くの人に知ってほしくない」

このような微妙な感情の中で揺れ動いています。

学生時代、日本各地を一人旅していたとき、

「観光地に住む地元の人」
  と
「観光地に訪れる観光客」

の関係性みたいなものをよく考えていました。

大量の観光客が訪れることで、地元住民の生活が脅かされている事例の一つだ。多くの魅力が詰まった場所で、一度は行ってみたい憧れの場所だが…

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当たり前ですが、いくら観光地であってもそこで生活している人達のコミュニティにお邪魔するわけだから、よそ者が大きなツラはできないワケで。

しかし、観光地化されすぎるとその土地のコミュニティにお邪魔しているんだ、という「よそ者感」(アウェイ感?)を悪い意味で感じなくなりがちです。

近年は、InstagramのようなSNSの普及により、ベネチアのようなよく知られた場所だけでなく、今まで知られていなかった場所が知られるようになった。それ自体は非常に喜ばしいことです。

しかし、観光客を受け入れる体勢がまだ出来上がっていない「今まで知られていなかった場所」と、観光客側の下調べ不足・マナー違反などによる、地元民と観光客との軋轢が発生した事案も多くありますよね。

隠れキリシタンらが弾圧・迫害から逃れた場所、その背景的理由から視覚的にわかりづらい場所にあり、スムーズに観光地を移動することが難しい。

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上の記事には書かれていませんが、聞いた話、観光客の教会内でのマナーが悪かったせいで、地元住民・信者の怒りを買い、観光客の立ち入りを制限した教会もあるそうです。

「誰にでも」開かれた場所にするというのは、コンビニエンスストアのようなものだと思います(別にコンビニエンスストアでなくてもいいが)。コンビニのように多くの人に向けて開かれた場所は、一般人からマナーも守れないような人まで、実に「色んな人」が訪ねてくる。

「誰にでも」とは、そういう問題も孕んでいると思います。

そのため「来てほしい人」に来てもらえるに、観光地側や発信する人が自らフィルターをかけることも必要かな、と。

極端な例を出すと、田舎特有の不便さなど「そういうもの」が許容・理解できる人、「そういう場所」に訪れているのだということを自覚できる人を見込み客にして、それ以外はフィルターをかける、とか。

保守的・閉鎖的な考えだと思いますが、自分勝手な人たちによってそこに住む人々の生活や風景などが存続できなくなるのであれば、考えるべき問題なのではないだろうか。

もちろん、佐賀に訪れてくれた人には、是非とも美味しいものを食べて、のんびりとした景色に癒されていただきたい。ついでに、佐賀の特産物でも購入して経済を回してもらえたら嬉しいネ。

◇◇◇

自分のルーツ

さて。こっち(東京などの関東圏)に来て、田舎者であることがコンプレックスになった時期がある。

ゆっくりとした田舎特有のイントネーションとモゴモゴしゃべる自分が嫌いで、次第に自己肯定感というヤツが急降下していきました。

美術館に行った時、小さい子が絵画を見ていたことに驚き、文化的な面からの格差を思い知った。

「知らないの?」「やったことないの?」などと言われるのが悔しかった。

「素朴でいいね」「純粋だね」という言葉は、自分で勝手に「イモっぽいね」「世間知らずだね」に脳内変換し、「どうせ私のことそう思って下に見ているんでしょ」と、素直に受けとめることができなかった。

なぜ「田舎者」という言葉は「都会の人」と比べてネガティブに聞こえるのだろうと悩んだ。

故郷が与えてくれたものは、コンプレックス以外何もなかったのではないか、と思った。

しかし、「私には何もないんだ」と感じさせ、「私」を焦燥感へと駆りたたせるモノとは、一体なんなのでしょう。

たまに、地元の友達や家族が「どうせ(私は)田舎者けん」などと、自信なさげに、または自暴自棄ぎみに言葉を吐きます(私もたまにそうなっちゃいます)。

地元以外の場所に行ったことがないこと、生まれ育った場所に対して誇りや自信を持てない気持ちは、先ほど散々述べたように、私自身も十分に分かっているつもりです。

なんだか、そういうふうに自信を失くさせる「カラクリ」があるような気がするのです。その一つが、「持っていない」と思わされることかな、と。

世の中は長いこと「何を持っているか」でマウントの取り合いをしているような気がする。

「何」とは、お金のような経済的余裕、本やパソコンなどのような物質的なもの、血筋、容姿、出身地、語学や資格などのスキル、はたまた留学や旅行に行った国の数などのような「経験」に至るまで、様々なものが当てはまります。

特に、10代・20代前半くらいの時は、自分のアイデンティティに悩みつつも、氾濫した情報に惑わされる人も多い。また、「何者かになりたい」という欲につけ込まれてまんまと手のひらの上で遊ばれる人もいる。

自分も長いことそうだった(今もそうかもしれない)から、ブレる気持ちはよく分かるし、周りに散々弄ばされた挙句、残ったのは「空っぽな自分」だけだと知ったときの絶望感もよく分かる。

何が私をこんなに焦らせるのか。何が私をそう感じさせるのか。そのカラクリが見えて「な〜んだ、そういうことか」って思えたら、コンプレックスを抱えている子はちょっと楽になるのかな、と思ったりします。

だって、自分が生まれ育った場所は誇れる場所だと自信を持ちたいし、遠くに暮らしていても故郷の風景や文化などを自分のルーツとして誇りに思いたい。

「記録」という形を通して、そういうふうに思えるよう、ちょっとでも手助けできたらいいなと思っています。

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ここまで読んでいただきありがとうございました。

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