「私は描きたい。私にはまだ表現したいものがある」

もし生まれ変わるなら、バレエダンサーかミュージカル俳優になることを夢見る少女だったと思う(ちなみに、もし場所や時代を問わず生まれ変わるなら、モンゴルの遊牧民に生まれ変わって、馬に乗り、鷹を操り、草原と共に生きたいのはデフォルト)。

今の私であっても、もしもバレエ教室や劇団などが、子供の頃に身近にあったら、いわゆる「舞台芸術」で表現する方向へ情熱を注いでいたと思う。

バレエダンサー、ミュージカル俳優。そういう、ちょっとした憧れというか、諦めきれていない部分があるというか。自分が「もしも」こっちの道を選んでいたら…?と、妄想する癖が抜けない。

だから、宝塚音楽学校の受験ドキュメンタリーやミュージカルの舞台裏、バレエダンサーの日々の訓練の様子のVlogなんかを見てしまう。最近は、Netflixで47歳のバレエダンサーがニューヨーク・シティ・バレエ団を引退するまでのドキュメンタリーをみた。

にわか知識を披露するが、バレエはスポーツであり芸術だ。しかし、バレエダンサーの身体能力と精神性がピークになって重なる期間はごくわずかで、まるで一夏しか生きられない蝉のような、儚い面もある。

当時、47歳のプリンシパルだった彼女は、自分の肉体の限界と闘っていた。肉体の限界に相反して、彼女は

「私は踊りたい。私にはまだ表現したいものがある」

と、冷めない情熱を語る。同時に、その自分の冷めない情熱に対して、「自分はいつまで経っても夢見る少女なのよ。夢から覚めていないの」と、皮肉にも見ている。

「他のバレエダンサーたちは、引退前にバレエ学校の講師をやったりして、次の準備をしている。でも、私はそのようなことはできそうにない」

彼女とはまた少し違った気持ちで、講師のような教える仕事は、私にはできそうにないなと思っているが、彼女の言っていることは、なんか分かる。

私は、彼女ほど達観した精神は全然持ち合わせていないが、共感できるところがある。

絵描きも体力勝負なところがある。しかし、今しか描けない絵を描きたいにも関わらず、自分の精神性や技術なんかが追いついていない時がある。ちょっと焦る。どこまで描けるか分からないし、何もやり遂げられないかもしれない。ただ、彼女のように、

「私は描きたい。私にはまだ表現したいものがある」

と言える、大人な夢見る少女でいられたら、という憧れは確かにある。

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