今回は、小学校の学級園での記憶を書き綴ってみたくなりました。
私が通っていた山と森の緑に囲まれた小学校は、1学年1クラス。
学級園の6つの区画に区切られた畑では、各学年で毎年色んな植物を育てていました。
ある時期の私の日課は、放課後に学級園によって帰ること。植物に水をやるのが好きだったというか、ハマっていたというか。特に、一人で水やりをすることにこだわっていて、「私だけがこの畑のことを知っている!」という、謎の優越感に浸っていました。
「水やり係」だったかというと、実はその記憶はあまりなくて、もしかしたら、自分から毎日帰り際に水やりをしていたのかもしれません。
放課後、一人で水やりをしていると、学校の校庭から学童保育の子たちが遊んでいる声が聞こえてきます。しゃべっている内容は分からなくても、校庭にいるのはたぶん学童保育のあの子たちだろうって、なんとなく分かっちゃいます。全校生徒100人ちょっとの小さな小学校なので、学年が違ってもみんな顔見知りになっちゃいます。子供の柔らかい頭だと、いやでも名前と顔をなんとなく覚えてしまう。
それよりも。
私の頭の中は水やりのことでいっぱいです。
水をやらなきゃいけない植物はたくさんあって、ジョウロ一回では全然足りません。少なくとも、二回は水道まで水を汲みに行く必要がある。
一人で黙々とこの作業をやるのは、楽しい時間でした。
昼間の暑い日差しの中、いっぱいに喉を乾かした状態の植物たち。
ジョウロで水をあげると、白っぽかった土が濃い色に変わっていくのをみるのが面白い。地面に水が吸い込まれていくのをみていると、ゴクゴクと植物たちが喉を鳴らして飲んでいる…そんなふうに見えていました。
自ずと、自分も喉が乾いてきます。ただ、家から持ってきた水筒には、長い長い帰り道で飲む分を残しておかなくてはいけません。だから、ここで飲むのは我慢しました。
一度、誰もみていないこといいことに、バレリーナのマネみたいなことをしながら水やりをしていました。
クルクル回ると、ジョウロから出てくる水もクルクルと地面に描かれる。楽しくて楽しくて、調子にのった私はジョウロを上に振り上げます。
瞬間、案の定、水をまんまかぶることになります。
畑関係の記憶でもう一つ。
小学校には、学級園とは他に学校園がありました。
学校園は、山の斜面に作られた段々畑で、そこで毎年芋を育てていました。秋になると、全学年で収穫します。収穫した芋は、給食室へ届けて、その日の給食の献立に使ってもらうのでした。
しかし、山から下りてくるイノシシや森の動物に食い荒らされていて、半分だけになった芋がよく転がっていました。
聞く話によると、4つ下の妹の代からは、電流が流れる柵になったのだとか。
その頃、すでに小学校を卒業していた私にとって、その情報はどうでもいいことだったけれども、あの歯形のついた芋はもう見れないのだろうか、と少し気になるのでした。