セミの声を聞いた

新宿にあるバイト先に出勤していたその日、今年初めてセミの声を聞いた。

いつも同じに保たれた、季節感の分からないオフィスへの急な「夏」の訪問に、目が醒める感じがした。

「セミの声聞いたの今年初めてだわ」
「夏って感じがしますね〜」

私だけでなく、周りの社員さんたちもこの急な「夏」の訪問に、ちょっと気分が高揚しているようだ。無機質で無色で無音の調子が流れ続けるこの空間に、一瞬、リズムや色が見えた。

脳内に一気に流れ込んでくる「夏」

私にとっての「夏」は、生まれてから18年過ごした九州・佐賀県の景色が原風景だ。

青々とした稲が、草原のようにも、さざなみが立つ海のようにも見える田んぼ。突き抜けるような紺碧の空。ジリジリと肌を焦がす勢いで焼きつけてくる太陽と、木々が落とす濃い影のコントラスト。

大学時代を過ごした茨城県も、そんな感じの夏で、でも九州よりかは少しカラッとしていて、太陽も少し優しかった気がする(あまり外にいなかったからかもしれないが)。

◇◇◇

大学卒業後、上京して4か月が経とうとしている。

現在(2020年7月)の状況から外出する機会が減り、家に引きこもっているうちに、日本は夏へ向かっていた。いつの間にか、季節に疎くなったみたい。

緩やかに季節の流れを感じとれていた頃と違って、脳内に突然流れ込んできた「夏」に驚くし。季節の流れを感じとれなくなったからか、季節の変わり目で知らない間に体調を崩しているし。

もちろん気温・湿度ぐらいは感じるが、「暑い」「ジメジメしている」「偏頭痛がする」とかいうくらいだ。白い空間の中で、冷暖房の温度を上げ下げしているぐらいにしか感じられない。

雨の匂いから夕立が来そうだとか、霧が出そう、今日は冷え込むなとか、もうすぐ晴れるぞ、とか。

前はもっと野性的で、もっと敏感だったはずなんだが…

この「感覚」は「季節の行事」で感じる視覚的な「季節」ではない。もっと五感を使うし、複雑で、だけどシンプルな、自然界からの情報だ。

田舎とは全然違う都会での生活は、都会ならではの楽しさや発見があるが、それと引き換えに「感覚」が鈍くなったのは、ちょっと寂しい。悲しい。

田舎に戻ると、その「感覚」は私にとってはネイティブだから、すぐに取り戻すことができると思うけど、今度はそれと引き換えに「都会にいるからこそ敏感に研ぎ澄まされた部分」が鈍くなっていくのかな、と思う。

何かを得るために何かを失う「等価交換」の世界だけど、私はどんな「感覚」なら失っていいと思っているのだろうか。

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