二風谷での会話|イタを彫る男性

JOURNEY

大学4年の夏休みに、私は北海道をまるっと一周する一人旅出かけた。そして、最終日には私が一番行きたかった二風谷へ行ってきた。

二風谷は「二風谷ダム建設問題」で一時話題となった場所だ。なぜ問題になったかというと、ダムを建設しようとしていた場所が、アイヌの聖地とされる場所だったからだ。

結局、完成したダム。バスで二風谷へ向かう途中、私の視界に入ってきて、なんとなく胸をモヤっとさせた。

話は変わるが、私は小学校高学年ぐらいの頃から漠然と「アイヌの聖地へ行ってみたい」と思っていた。歴史か何かの授業で、アイヌ文化ことを知り、そこから興味がずっと頭の片隅にあった。

この一人旅は、そんな、小さい頃の夢を叶えるものでもあった。

二風谷に着くと、まず「二風谷アイヌ文化博物館」へと足を運んだ。おそらく、故郷・佐賀では、アイヌ文化の展示は行われたことが無いのではないだろうか。豊富な資料と展示物を見て、ようやくアイヌ文化の一端に触れることができた気分になった。

一通り回って外に出ると、「チセ(家)」が立ち並んでいるのが見えた。

伝統文化財に指定された「イタ(お盆のこと)」を彫る様子を見学できるチセがあったので、ちょっと見ていく事にした。博物館の中に展示してあった「鱗彫り」という技術がすごいなぁと思い、どういう風に彫られているのかが気になったのだ。

◇◇◇

イタを彫る男性

チセの中に入ると、一人の男性がイタに模様を彫っているところだった。彫っているところを、まじまじと見すぎたのか、

「こういうの、興味あるの?」

と、優しく話しかけてくれた。その日、イタを彫っていたのは、Kさんという、アイヌにルーツを持つ方だった。父親がアイヌ人で母親は日本人だと話してくれた。

「この模様には何か意味があるのですか?」

ちょうど4、5人観光客が見学に入ってきて、そんな質問がKさんに投げかけられた。私は後ろの方に下がって、そのやり取りを観察することにした。

「確かに、基本的な模様に関しては意味があるし、それを意識してはいます。でも、全部に意味をもたせていたら、真面目になりすぎてさ、疲れちゃうでしょう?」

と、Kさんは笑いながら印象的な返答をしていた。

確かに、鑑賞者側からすると「これはどういう意味なのか分からないから知りたい」「作者がそこにいるから質問したい」という気持ちは、分からなくはない。

思うにそれは、日常生活を送る中で「なんとなくこれがいいと思った」という瞬間に酷似しているんだと思う。そして、たまに人は、それに意味や理由を付けたくなる。

話を戻すと、「アイヌ」という言葉だけを見て「何か分からないけど貴重だ」とか「これには何か大きな意味がある」と、多くの人は思い込んでいる。そういうものもあるが、ないものもある。私たちの日常と、きっと同じなのだ。

しかし、私も実際には「アイヌかっこいい!」ってこの歳になるまで思っているし、なんなら今も思っている。

ずっとこの場所で作業しているKさんは、観光客からもう何千回と同じ質問をされているのだろう。

「全部に意味があったら疲れるでしょ?こんな模様を彫っちゃうなんて、昔の人はヒマだったんですかね? 楽しいからやってるだけですよ、きっと」

こんな感じで笑いとばしながら、観光客の求めていた答えや期待を、いい意味で裏切る回答をしていて、ちょっと拍子抜けしている人もちらほら。

私「でも、なんか言ってくる人とかいませんか?伝統が云々、とか…」

「そういう時はね、学芸員の資格を見せる。一応持ってるんだよね。そうするとね、「学芸員さんの言っていることだから…」って納得してくれるんだよ、これが。学歴みたいなものって、その人が「どういう人物か」を計る時に使う、一番分かりやすい“モノサシ”だからね」

「なるほど」

「なぜ、「アイヌ」と聞いただけで、特別感や貴重さ、意味を求めるような捉え方をするのかなって思うんだよね」

貴重さや意味を求め「こういうモノは、こうでないといけない」と、きっと無意識に、勝手に思い込んでいて、望んでいた答えだと安心し、感動して、そうでなかったら勝手にがっかりされる。

「確かにね、向こう(観光客側)からしたら、珍しいと思うのもわかるよ。相手のことを知りたいって気持ちや好奇心から質問しているのもわかる。

でも同時にね、俺からしたらアイヌの日々は「日常」なんだよ。あまりにも日常的・感覚的すぎて、説明できないこともあったりする。これってさ、みんなそうなんじゃないかな?」

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました