イギリス青年貴族たちの修学旅行「グランドツアー」とは

INTEREST

「Grand Tour(グランドツアー)」とは、18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパ、特にイギリスの上流階級の裕福な青年たちの間で流行った国外旅行、または修学旅行や卒業旅行のようなものである。

このグランドツアーは、青年たちが子どもから大人の貴族社会に入る前に行う最後の通過儀礼のようなもので、この国外旅行を通して教養を身につけるのが目的だった。まさに「可愛い子には旅をさせよ」って感じ。

また、学業が終わる頃の10代後半の青年たちの同伴者には、召使いの他、彼らの専属家庭教師である著名な哲学者や文学者などの知識人もいたそうだ。彼らも、他国の知識人との交流や教養としての作品鑑賞などを、旅中に「ちゃっかり」行っていたのである。


憧れのイタリア

18世紀の旅行の例
Grand Tour William Thomas Beckford
出典:WIKIMEDIA COMMONS

グランドツアー の旅先として特に人気だったのは、イタリアである。

彼らはイギリス・ロンドンを出発したあと、ドーバー海峡を越えてフランスやオランダ、ドイツなどを経由し、アルプスの山々を越えてイタリアへ入った。そして、ヴェネツィアからボローニャ、フィレンツェ、シエナなどを経由し、ローマを目指す。なかなか壮大である。

これだけ壮大なので、旅に1〜5年かかることもあったそうだ。

さらに、貴族たちの大旅行であるため、かかる費用も大掛かり。そのため、このような壮大なルートの大周遊旅行は貴族の長男だけにおさえ、次男坊から下は夏の間に数ヶ月程度の小旅行、というケースが多かったのだとか。


とはいえ、このイタリアへの旅は18世紀以前からもよく行われていた。

特に、北方ヨーロッパの画家たちの多くは、16世紀頃からイタリアへ「画家修行の旅」を行っており、長く芸術の中心地であったイタリアの芸術作品を見ることが、修行の一つとなっていたのである。

この旅が画家のような作家たちだけでなく、イギリスの上流階級の人々の教養の旅としても広がった。18世紀当時のほとんどの知識人は、イタリアへの旅の経験があるといってもいいくらいである。


グランドツアー のような国外旅行が流行った背景として、宿や駅馬車、交通網の発達や、長らく続いたヨーロッパの戦乱が落ち着いたことが考えられる。

しかし、交通網が発達したとはいえ、アルプスの山々や海や川を越えるのは、今と比べるとなかなかハードだろうし、貴族が外を出歩けば盗賊に襲われるかもしれない。命の危険とも隣り合わせである。

そんなハードな旅であるが、彼らを旅へとかき立てるものがあったのだ。

イタリアで待つ豊富な芸術作品の数々やイタリア文化・歴史の重みを肌で感じたいから?
それとも、親の目がない青年たちにとって、異国の高級娼婦たちと戯れたり、賭け事に興じたり、好き放題できるから?

酒宴で盛り上がるイギリス人サークル。グランドツアー旅行者たちを皮肉とユーモアたっぷりに描いている
Thomas Patch(1725-1782)《A Punch Party in Florence》1760
oil on canvas|1145×1715 mm|Art UK Collection
出典:WIKIMEDIA COMMONS

結局は人によって「旅へと掻き立てるモノ」は違うのだろうと思われるが、その一つに「絵画」が重要な位置を占めている。この「絵画」というメディアを通して語られる物語が、多くの人を旅へと導いたのだ。


「ピクチャレスク」な風景

Jacob Philipp Hackert(1737-1807)《Italian Landscape》1795
oil on canvas|645×960 mm|Hermitage Museum Collection
出典:WIKIMEDIA COMMONS

「ピクチャレスク」とは、「絵のような」「写真のような」という意味である。

風光明媚な景色をみた時に、「絵みたい!」だとか感想を漏らすことがある。私もよくやるのだが、無意識のうちに目の前の風景を以前見たことがあるモノ(絵や写真など)と比べてしまっているようなのである。

目の前に広がる風景は現実のものなのに、まるで絵(や写真)を見ているかのような感覚になるのだ。

ところで、私の学生時代の知り合いに、スイスへ行った経験がある後輩がいるのだが、彼女曰く「西欧人からすると、私のような日本人を含めたアジア人は、写真ばかり撮っていると思われている」と言っていた。実際、彼女がスイスの街並みをスマホで撮っている時、後ろの方で「やっぱりアジア人だ」と冷笑されたのだとか。

でも確かに、目の前に広がる「ホンモノの風景」そっちのけで、カメラやスマホの画面の中の風景ばかりを覗いている観光客は多い。

「せっかく現地に来たのに…」と思う反面、まァ、松尾芭蕉も景色を見るより俳句を詠むために各地を巡ったのだと聞くし、「写真を撮ること」が目的になっているのも、別に何ら不思議なことでもないのかな、とも思う。

その他、映画・ドラマ・アニメなどを見て、そのロケ地の風景を見たくて、ついでに訪問した記念としてカメラに収めたく行く人もいるだろう(アニメだと「聖地巡礼」というやつだ)。


当たり前のことかもしれないが、旅先を決める時も私たちは「写真」や「テレビ」などのメディアを通して現地を知り、現地に向かう前から現地の景色を知っている。多かれ少なかれ、写真やテレビ、旅行雑誌、近年だど個人がSNSなどに投稿した情報やメディアを通して見たモノ、これを求めて現地へと向かっているのだ。

私も目的地を選ぶ時、例えばInstagramでその場所を検索し、他の人の投稿写真をいくつか眺めて、「こんな感じの場所なのね」と、その場所がどんなところなのかの情報をあらかじめ得ている。

グランドツアーの旅行者たちもそれと同じように、(カメラはまだ台頭していないので)絵画の中の風景に憧れてイタリアを目指した。そして、イタリアの「絵のような」風景を、絵を見るようなまなざしで眺めていた。

ちなみに、その絵画とは、グランドツアーが始まる前、特に17世紀頃に描かれた風景画のことである。

[ニコラ・プッサン]
(Nicolas Poussin, 1594-1665)
フランスの画家。生涯のほとんどをローマで過ごした。

Nicolas Poussin《The Empire of Flora 》1631
oil on canvas| 131 x 181 cm|Staatliche Kunstsammlungen Dresden Collection
出典:WIKIMEDIA COMMONS

[クロード・ロラン]
(Claude Lorrain, 1600-1682)
フランスの画家。人生のほとんどをイタリアで過ごした

Claude Lorrain《An Artist Studying from Nature》1639
oil on canvas|101 x 78.1 cm|Cincinnati Art Museum Collection
出典:WIKIMEDIA COMMONS

[サルヴァトル・ローザ]
(Salvator Rosa, 1615-1673)
イタリア・ナポリ出身の画家

Salvator Rosa《A Mountain Landscape》17c
oil on canvas|98 x 136.5 cm|Southampton City Art Gallery Collection
出典:ART UK

18世紀の旅行者にとって、イタリアの風景といえばこの3人と言えるほど定番だったらしい。
参考:岡田温司『グランドツアー 18世紀イタリアへの旅』(2010)岩波新書 58頁

そんな上流階級たちの要望に答えるように、ピクチャレスクな絵を提供する画家も出てきた。風景画の需要が高まりつつあったのも、この頃である。

絵画の他にも、旅先でのハプニングをおもしろおかしく、時に苦労したことや、時にマジメな見解を含めて描いてみせた「旅行記」も、人々の心を掴んだ。旅先の風景画を挿絵に入れて文章を添えた、個人の「旅行記」がベストセラーになることもあった。

今は書籍だけでなく、映像や写真などのような形で記録された「旅行記」もあふれている。

それらを眺めているだけで、私もいつかそこへ行きたいなァと思いを募らせるのだが、当時のイギリス貴族青年たちも「自分もこのような体験をしてみたい」と、同じように思っていたのだろうか。彼らの旅を考えると、もしかしたら「旅先の決め方」や「人が心惹かれる風景」は、昔からあまり変わっていないのかも?と思うのだ。


<参考>
岡田温司『グランドツアー 18世紀イタリアへの旅』(2010)岩波新書
本城靖久『グランド・ツアー 英国貴族の放蕩修学旅行』(1994)中公文庫
小佐野重利(編著)『旅を糧とする芸術家』(2006)三元社

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