大学時代、本を読んで知ったレオナール・フジタ(Léonard Tsugouharu Foujita, 藤田嗣治, 1886-1968)という画家。「日本人で初めて国際的に成功した芸術家」だとか、「乳白色の肌」の絵を描く人物として知られているフジタだが、収集・執筆・舞踊・デザイン・版画・写真など、多くのことに興味があり、そのいくつかの分野でも高い評価を得ている。
私は、マルチな才能を持つ人に憧れる傾向がある。そういう私からすると、芸術家というものは多方面に才能があって魅力的な人が多いのだが、フジタはなんだか別格な気がする。たぶん、私のなりたい理想像に一番近いからかもしれない。
さて、私の独白は一旦ここまでにして、本題に入ろう。
フジタはただ絵を描くだけでなく、あらゆるモノを手作りしていた。その一つ一つが素朴で愛らしく、実はフジタの作品の中でも特に好きであったりする。一から手作りしているものや、蚤の市で発掘してきたものを修理したりリメイクしたりしたものもある。昨今、DIYが流行っているが、もしかしたらフジタはその先駆者かもしれない。
また、フジタの静物画や、晩年過ごした家「メゾン=アトリエ・フジタ」にあるインテリアを見ていると、「見せる収納」をたくみに使った、フジタらしい、センスある部屋だなァと思う。
この記事では、芸術家としてのフジタだけでなく、職人的な一面についてご紹介したい。
大工
身の回りの“ものづくり”に使ったと思われる道具類が、フジタのアトリエに大量に残されていた。器用でマメだったというフジタは、年齢を重ねるごとに様々なものづくりにチャレンジしていくのだが、その一つに日曜大工がある。
象嵌した円形テーブル 1920年頃 目黒区美術館蔵
出典:林洋子『藤田嗣治 手しごとの家』(2009)集英社
額縁
経年劣化によって取り替えられた額縁もあるが、フジタの絵と額縁は、セットで1つの作品になっていることがある。特に、アメリカで制作していた時期は、わざわざ絵の題材に合わせた額縁を一つ一つ制作していたようだ。
また、フジタが製作した額縁には、主に2パターンある。一つ目は、食品の入っていたブリキ缶を切り抜いて、打ち出してつくったレリーフが付けられた手製額縁。二つ目は、木製の額自体に木彫りした手製額縁だ。
レオナール・フジタ《姉妹》1950
oil on canvas|60.8 x 45.3 cm、85.5 x 69.0 cm(額寸)|ポーラ美術館蔵出典:ポーラ美術館
レオナール・フジタ《美しいスペイン女》1949
oil on canvas|76 x 63.5cm、91 x 78.5cm(額寸)豊田市美術館蔵出典:林洋子『藤田嗣治 手しごとの家』(2009)集英社68頁
陶芸
絵の制作の傍ら、陶芸も継続的に制作していたフジタだが、特に1950年初頭、パリに戻ってきた頃から本格化した。ピカソも陶芸制作の拠点としていたマドゥーラ工房に何回も訪れ、製作したものは、自分と妻のための日用品としての食器だった。
裁縫
裁縫をするフジタの自画像がある。
フジタは、布や縫うことについても興味・関心があった。フジタの個性的な装いの多くは、自分で作ったものである。その他にも、自分の妻の服や人形(フジタはアンティーク人形を収集していたことでも知られている)の服まで手作りしたのだから驚きだ。アトリエからは、ミシンや服の型紙、布の端切れなどが発見されている。
出典:Journals Open Edition|La maison atelier de Foujita à Villiers-le-Bâcle
上の写真の、寝室の青いストライプ模様のカバーも、フジタの手作りである。
裁縫への興味関心は、最初の妻とみとの手紙からも分かる。フジタが単身パリへ渡っている時、日本にいる彼女へ宛てた手紙。裁縫科出身だった彼女のためもあってか、パリの最新ファッションをイラストにした手紙をしばしば送っている。また、第一次世界大戦の混乱を避けてロンドンに滞在した時には、裁縫師のアルバイトをやっていた。
いずれにせよ、器用で凝り性で、興味あることは何でもやってのけるフジタであるから、自然と裁縫技術も会得したのだろうと思う。
\余談・続き/
〈参考〉
・藤田嗣治『随筆集 地を泳ぐ』(2014)平凡社
・林洋子『藤田嗣治 手しごとの家』(2009)集英社